情は団結してる労働者らのほうへ向いた。しかし彼は自由を崇拝する精神に育てられていた。ところが、自由は革命者らがもっとも意に介しない事柄だった。もとより、今日だれか自由を懸念してる者があろうか。それはただ世の中にたいして影響のない一群の優秀者らのみである。自由な今|暗澹《あんたん》たる時を閲《けみ》している。ローマ法王らは理性の光を禁じている。パリーの法王らは天の光を消している。(議会のある雄弁家の滑稽な演説にたいする諷刺。)そしてパトー氏は街路の光を消している。至る所で帝国主義が勝利を得ている。ローマ教会の神政的帝国主義、利益本位の不思議な諸王国の軍事的帝国主義、資本主義的な諸共和国の官僚的帝国主義、多くの革命委員会の独裁的帝国主義。憐《あわ》れなる自由よ、汝《なんじ》はこの世のものではないのだ!……革命主義者らが宜伝し実行してる権力の濫用は、クリストフとオリヴィエとに反抗心を起こさした。共通の主旨のために苦しむことを拒む黄色労働者らにたいしても、彼らは尊敬がもてなかった。そして暴力をもって共通の主旨を強いらるるのはたまらないことだと思った。――それでも決心をきめなければならない。実際のところ、その選択は現在では、一つの帝国主義と自由との間に存するのではなくて、一つの帝国主義と他の一つの帝国主義との間に存するのである。オリヴィエは言った。
「両方とも僕は取らない。僕は圧迫されてる人々の味方だ。」
クリストフも同じく圧迫者らの横暴を憎んでいた。しかし彼は暴力の澪《みお》の中に巻き込まれ、反抗した労働軍のあとにつづいていた。
彼はそれをみずからほとんど気づかなかった。彼は食卓の仲間らに向かって、自分は彼らといっしょではないと宣言していた。
「君たちにとって問題が物質的利害ばかりである間は、」と彼は言った、「君たちは僕の同感を得ないだろう。しかし君たちが一つの信念に向かって進み出すときには、僕は君たちの味方になるだろう。そうでなくて、ただ口腹の間だけでは、僕になんのなすべきことがあるものか。僕は芸術家だ。芸術を擁護するの義務をもっている。芸術をある一派にだけ奉仕さしてはいけないのだ。僕は知っている、近ごろ野心ある芸術家らが、不健全な評判を博そうと思って、一つの悪例を残した。しかし、そういうふうにして彼らが弁護してる主旨に、実際彼らが多く役だったろうとは、僕には思えない。しかも彼らは芸術に裏切ったのだ。知力の光を救うこと、それが僕たち芸術家の役目だ。君たちの盲目的な闘争とそれとを混同してはいけないのだ。もし僕たちがその光を消えるに任しといたならば、だれがそれを保持してくれるだろうか。君たちも戦いのあとに光が少しも衰えていないのを見出したら、きわめて喜ばしいだろう。船の甲板上で戦ってる者がある一方には、機関の火を維持することにかかってる労働者が常にいなければいけない。すべてを理解して何物をも憎まないことだ。芸術家というものは、嵐《あらし》の間にも常に北を指してる羅針盤《らしんばん》だ……。」
彼らは彼を飾言家だとし、羅針盤についてなら彼は自分の羅針盤を失ってるのだと言った。そして彼に親しい軽蔑《けいべつ》を示してうれしがった。彼らに言わすれば芸術家なるものは、もっとも少なくそしてもっとも愉快に働こうとくふうしてる狡猾《こうかつ》児にすぎなかった。
彼はそれにたいして、自分は彼らと同様に働いており、彼ら以上に働いており、彼らほど仕事を恐れてはいないと答えた。怠業やいい加減の仕事や主義にまでもち上げられた怠惰などこそ、もっとも自分の嫌悪《けんお》してるものであると答えた。
「それらの憐《あわ》れむべき連中はみな、」と彼は言った、「自分の大事な皮膚のことをびくびくしてるのだ……。ああ僕は、十歳ほどのときからたえず働いている。が君たちは、君たちは仕事を好まない。根は中流人なのだ。……君たちにただ古い世界を破壊することだけでもできたら! しかし君たちにはそれもできない。それを望みもしない。いや望みもしないのだ。君たちがいくら喚《わめ》いても、脅かしても、すべてを絶滅せんとする者の真似《まね》をしても、無駄《むだ》なことだ。君たちには一つの考えしかない。成り上がって、中流者流の温かい床の中に寝ることだ。ただわずかに数百人の土工たちだけが、なぜか自分でも知らないで――楽しみのために――苦しみのために、古来の苦しみのために――常に自分の皮膚を破りあるいは他人の皮膚を破るの覚悟でいるけれど、その他の者は皆、機会さえあればいつでも陣営を脱して中流人の仲間入りをしようとばかり考えている。彼らは社会主義者になり、新聞記者になり、演説者になり、文士になり、代議士になり、大臣にもなる……。ばかばかしい、そんな奴にたいして怒鳴るのはよせよ。なんの甲斐《かい》もありゃしない。其奴《そいつ》を反逆者だと君たちは言うのか。……まあそれもいいさ、がこんどはだれの番だ? 君たちもみんなそうなってしまうだろう。君たちのうち一人としてその誘惑に反抗できる者はいない。どうして反抗できるものか。君たちのうち一人として不滅の魂を信じてる者はいない。君たちはただ口腹にすぎないと僕は断言する。物をつめ込もうとばかり考えてる空《すき》っ腹ばかりだ。」
そうなると彼らは腹をたてて、皆一度に口をききだした。そしてクリストフは議論しながら、自分の熱情に引きずられて、一同よりももっと激しい革命家となることがあった。彼はいくらそうなるまいとつとめても駄目だった。彼の知力の高慢、精神の喜びのための純粋に審美的な一世界にたいする楽しい想念は、一つの不正の前に出ると地下に潜んでしまった。審美学が何になるか。十人のうち八人までが、欠乏困窮のうちに、肉体上や精神上の悲惨のうちに生きている、そういう世界が何になるか。しっかりせよ! そういうものをあえて主張するのは、破廉恥なる特権者にすぎないのだ。クリストフのごとき芸術家は、その良心においては、労働者の味方たらざるを得なかったのである。社会的境遇の不正や、財産の憎むべき不平等などを、精神的労働者以上に苦しむ者が世にあるか。芸術家が餓死するかあるいは百万長者になるかは、ただ流行の気まぐれや流行に乗ずる人々の気まぐれによるのみである。優秀者を滅ぶるに任したりあるいは途轍もない報酬を与えたりする社会こそ、実に奇怪なものと言うべきである。一度破壊する必要がある。各人は、働こうと働くまいと、日々のパンにたいする権利はもっている、いかなる仕事もそれぞれ、よい仕事であろうとつまらぬ仕事であろうと、その真価に応じてではなく――(だれが真価を確実に判定し得るものぞ)――それをしてる人間の正当通常な必要に応じて、報いられなければならぬ。社会の名誉となる芸術家や学者や発明家には、なおいっそう社会の名誉となるの時間と方法とを保証してやるだけの十分の礼金を、社会は与えることができるし与えなければいけない。それだけでよいのだ。ジョコンダ[#「ジョコンダ」に傍点]は金百万に当りはしない。一つの金額と一つの芸術品との間にはなんらの関係もないのだ。芸術品は金額より以上のものでも以下のものでもない。金額以外のものである。その代価を払うことが問題ではない。芸術家が生きることが問題である。芸術家に食べるものと平和に働けるものとを与えよ。富は余分なものであり、他人よりの窃盗である。露骨にこう言うべきだ、自分および家族の生活、自分の知力の正則な発達、それらに必要である以上のものを所有してる者はすべて、一の盗人であると。一方に過多の所有があれば、他方に過少の所有がある。フランスの無尽蔵の富、財産の豊富、などのことが話されるのを聞きながら、いかにわれわれは悲しげに微笑したことだろう。われわれ、勤勉な者、労働者、知的階級の者、男や女は、すでに幼年時代から、身を粉にして働きながら餓死しないだけのものを稼ぎ出さんとし、そしてしばしば、われわれの最善な人たちが労苦に斃《たお》れるのを見ているのだ――しかもそのわれわれこそ、国民のうちの生きた力である。しかし彼ら、世界の富をつめこんでる彼らは、われわれの苦痛や苦悶《くもん》について富んでると言うべきだ。だが彼らはそのために少しも心を乱されはしない。彼らはみずから心を安んずべき詭弁《きべん》を十分もち合わしている。所有の神聖なる権利、生存のための健全なる戦い、進歩[#「進歩」に傍点]という高遠な利害、その架空的な怪物、幸福を――他人の幸福を――ささぐるその朦朧《もうろう》たる「よりよきもの」、をもち合わしている。――それにしてもなおつぎのことは否定できない。すなわち、彼らはあまりに多くもっている。生きるためのもの以上をもっている。われわれは十分にもっていない。しかもわれわれは彼ら以上の価値がある。もしも不平等が望ましいというならば、明日はそれが逆のものとならないように気をつけるがいい!
かくして、周囲の熱情の酔いはクリストフへも伝わっていった。そのあとで彼は、自分の発作的な雄弁にみずから驚いた。しかしそれを重大視しはしなかった。その軽い興奮を酒のせいだとして面白がった。ただ酒があまりよくないのを遺憾とした。そして自分のライン産の葡萄《ぶどう》酒を自慢した。彼はやはり革命的観念から離れてるものとみずから思っていた。しかし不思議なことには、クリストフがそれらの観念を論ずるのにしだいに熱情を増してゆくに反して、仲間たちの熱情は、比較的減じてゆくかのような観があった。
彼らはクリストフほど幻影をいだいてはしなかった。もっとも過激な首領らでさえも、有産階級からもっとも恐れられてる人々でさえも、根底は少しもしっかりしていなくて、ひどく中流人的であった。種馬のいななくような笑いをするコカールは、太い声を出したり恐ろしい身振りをしたりしていたが、自分の言ってることを半分ばかりしか信じていなかった。彼は暴力の法螺吹《ほらふき》だった。中流人の卑怯《ひきょう》さを見通していて、実際以上に強がったふうをしながら、中流人を脅かす真似《まね》事をしていた。そしてクリストフにたいしては、笑いながらその事実を承認することを大して拒まなかった。グライヨーは万事を非議し、人がしたがってる万事を非議していた。何もかも画餅《がべい》だとしていた。ジューシエは常に肯定していた。けっして自分が誤りだとしたがらなかった。自分の議論の欠点をよく承知してはいたが、そのためにますます議論を力説するばかりだった。自分の主義の慢《ほこ》りさえ傷つかなければ、主旨の勝利なんかはどうでもよいとするかもしれなかった。しかし彼はよく、頑固《がんこ》な信念の発作から皮肉な悲観の発作へ移ることがあって、その悲観に沈むと、観念の虚偽やあらゆる努力の無益さを苦々しく批判していた。
労働者らの大部分も同様だった。彼らはたちまちのうちに、言論の酩酊《めいてい》から落胆へ落ち込んでいた。彼らは非常に大きな幻影をいだいていた。しかしそれは何にも立脚していない幻影だった。それを彼らは苦心の結果から得たのではなく、また自分自身でこしらえたのでもなかった。下等な寄席《よせ》珈琲店や居酒屋などに楽しみに行くのと同じく、できるだけ努力を払わないで、できあいのままを受け取ったのだった。考えるということについては不治の怠惰な連中で、大して弁解の余地もない怠惰者だった。ただ横にころがって自分の秣草《まぐさ》と夢とを平和に反芻《はんすう》することばかり求めてる、無気力な動物だった。しかもその夢から覚めると、前よりいっそう大きな倦怠《けんたい》と木で作ったような口とのほかは、もう何にも残っていなかった。たえず彼らはだれか一人の首領に熱中していたが、しばらくたつと、その首領を疑って排斥していた。もっとも悲しいことには、彼らのほうが間違ってるのではなかった。首領らのほうが相次いで、富や成功や虚名やの餌《えさ》にひかされていた。ジューシエのような人物は、蚕食してくる結核のために、目近にさし迫ってる死のために、誘惑から免れてはいたけれど、そう
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