配、一般投票、人間の平等――あらゆる信条は、もしそれを生かしてる力を見ずしてその理論的価値ばかりを見るならば、等しく馬鹿げたものであった。その平凡さなどはどうでもよいことだった。観念が世を征服するのは、観念たることによってではなく、力たることによってである。観念が人をとらえるのは、その知的内容によってではなく、歴史のある時期においてそれから発する活力的光輝によってである。それはあたかも立ちのぼる香気に似ている。もっとも鈍い嗅覚《きゅうかく》の者もそれにひかされる。もっとも崇高な観念といえども、長い間なんらの効果も与えないでいて、他日にわかに流行してくるのは、それ自身の真価によってではなくて、それを具現しそれに血を注ぎ込む一群の人々の真価によってである。そして今まで干乾《ひから》びていたその植物は、ジェリコの薔薇《ばら》は、突然花を開き、生長し、強烈な芳香を空中に充満させる。――花々しい軍旗を押し立てて労働階級を率い、有産階級の城砦《じょうさい》を攻撃せしむるにいたった、それらの思想は、有産階級の夢想者らの頭脳から出て来たものだった。それが有産者らの書物の中にとどまってる間は、あたかも死んでるのに等しかった。博物館の品物であり、ガラス棚《だな》の中の包み込まれたミイラであって、だれも目に止めるものはなかった。しかし民衆がそれを奪い取るや否や、民衆はそれを民衆化し、熱狂的な現実性をそれに付与した。そしてこの現実性のために、それは変形して、幻覚的な希望を、時代の熱風を、それら抽象的な論理の中に吹き込まれ、生き上がってきた。人から人へと伝わっていった。だれもみなそれに感染したが、だれによってまたいかにしてそれがもちきたされたかを知らなかった。それはほとんど人選びをしなかった。精神上の伝染が広がりつづけた。愚昧《ぐまい》な人々が優秀者へそれを伝えることさえあった。各人がみずから知らずしてそれをもち回っていた。
こういう知的感染の現象は、すべての時代にまたすべての国にあるものである。たがいに門戸を閉ざし合った階級を維持せんとする貴族的な国家のうちにさえ、それが感ぜられる。けれども優秀者と衆人との間になんらの衛生境界をも保存しない民主国において、それはどこよりもことに猛烈である。優秀者もすぐに感染する。いかに高慢であり知力すぐれていても、その感染を免れることはできない。なぜなら優秀者はみずから思ってるよりもはるかに弱いものである。知力は一つの小島であって、人類の潮に噛《か》まれ削られ包み込まれる。潮が引くときにしかふたたび現われはしない。――一七八九年八月四日の夜に自分の権利を放棄した、フランスの特権者らの自己犠牲を、人は感嘆している。けれどもっとも感嘆すべきは実に、彼らが他になんとも仕方がなかったということである。私の想像によれば、彼らのうちの多数は自邸へ帰ってから、おそらくみずから言ったことであろう。「俺《おれ》はなんということをしたんだろう。俺は酔っ払っていたのだ……。」すばらしい陶酔ではないか! そのりっぱな葡萄《ぶどう》酒とそれを与えた葡萄樹とは讃《ほ》むべきかな! 旧フランスの特権者らを酩酊《めいてい》さした血を有する葡萄樹、それを植えたのは特権者自身ではなかった。すでに葡萄酒は醸《かも》されていた。それを飲むだけのことだった。飲んだ人々は頭が乱れた。少しも飲まなかった人々でさえ、酒樽《さかだる》の匂《にお》いを通りがかりに嗅《か》いだだけで、眩暈《めまい》を覚えた。大革命の葡萄収穫!……その一七八九年の葡萄酒からは、もう現在では、家の窖《あなぐら》に幾本かの空瓶《あきびん》が残ってるのみである。しかしわれわれの子孫らは、父祖がその酒に頭くらんだことを思い起こすだろう。
オリヴィエの時代の若い有産者らの頭に上った葡萄酒は、より渋いがしかも同じく強烈なものだった。彼らは新しい神に、いまだ知られざりし神[#「いまだ知られざりし神」に傍点]に――民衆に、自分らの階級を犠牲として供えたのだった。
もとより彼らは皆が同じように誠実ではなかった。多くの者は、自分らの階級を軽蔑《けいべつ》するふうをしながら、その階級から一頭地を抜くべき機会をしか、そこに認めていなかった。また大多数の者にとっては、それは知的な時間つぶしであり、演説の練習であって、まったく不面目なものだった。一つの主旨を信じ、その主旨のために戦ってい、あるいはこれから戦おうとし――少なくとも、戦い得るだろう、などと考えることは一つの楽しみである。何かの危険を冒してる、と考えることだけでも悪くはない。まったく芝居的な情緒である。
この情緒は、なんらの利害の打算も交えずに率直に奉仕されるときには、きわめて潔白なものである。――しかしいっそう抜け目のない他の人々は、意識しながら芝居をしていた。民衆運動は彼らにとっては成り上がる一方法だった。北欧の海賊らのように、彼らは上げ潮に乗じて船を陸の内部へ進めていた。潮が引く間に、大河口の奥深く進入して、征服した都市に腰を据《す》えるつもりだった。通路は狭く水は荒立っていた。巧妙でなければいけなかった。しかし民衆|煽動《せんどう》の二、三の世代を経たあとなので、職業上のあらゆる秘訣に通じてる一つの海賊人種ができ上がっていた。彼らは大胆に進んでいった。途中で沈没した者なんかには一|瞥《べつ》も注がなかった。
それらの徒輩にはあらゆる党派の者が交じっていた。が幸いにも、その責任はどの党派にもなかった。しかしそれらの山師どもが、真面目《まじめ》な人々や信じきった人々へ起こさせる嫌悪の情は、ある者らをして自分の階級に絶望させるにいたった。オリヴィエが見た幾多の富裕な教養ある年若い中流人らのうちには、有産階級の失墜と自己の無用さとを感じてる者があった。オリヴィエもそういう人々に同感しやすい傾向をもっていた。彼らは、優秀者による民衆の改善を初めは信じ、通俗大学を建ててそれに多大の時間と金とを濫費し、そのあとで自分の努力の失敗を見てとったのである。彼らの希望は過大であったが、彼らの落胆も非常であった。民衆は彼らの呼び声に応じて集まって来なかった、もしくは逃げ出してしまった。幸いにやって来るとすれば、すべてのことを誤解して、有産階級の文化から悪徳をしか取り出さなかった。それにまた、多くの背徳漢が有産階級の使徒たちの間にはいり込んできて、民衆と有産者らとを同時に利用しながら、彼らの信用を失わしてしまった。そうなると、有産階級は呪《のろ》われたものであり、民衆を腐敗させることができるばかりであって、民衆はぜひともそれと袂別《べいべつ》すべきであり、単独で進んでゆくべきである、というように誠意ある人々には思われるのだった。それで彼らはもうなんらの実行もなし得なくなって、自分たちの力を俟《ま》たずかつ自分たちに反対して起こってくる一つの運動を、ただ予告するばかりだった。ある人々はそこに忍諦《にんてい》の喜びを見出した。自身の犠牲によって養われる、私心のない深い人類的同情、そうした同情の喜びを見出した。愛すること、自己を投げ出すこと! 若き人々は自分の資本にきわめて豊富であって、報酬を受けなくても済ましてゆける。欠乏を恐れはしない。――また他の人々は、理性の楽しみを、一|徹《てつ》な論理を、そこで満足さしていた。彼らは人間に奉仕しなくて、観念に奉仕していた。それはもっとも勇敢な人たちだった。自分の階級の必然的な終焉《しゅうえん》を理論から引き出すことに、高慢な享楽を覚えていた。重荷の下に圧倒されるよりも、自分の予言が事実に裏切られるのを見ることのほうが、彼らにとってはいっそう苦痛だった。彼らはその知的陶酔のなかで、外部の人々へ叫んでいた。「もっと強く、もっと強く打てよ。われわれから何物も残ってはいけない。」――彼らは暴力の理論家となっていた。
他人の暴力の理論家である。なぜならば、普通の例にもれず、それら暴虐な力の使徒たちはたいていいつも卓越した虚弱な人たちであった。そのうちには、彼らが破壊すべしと称してるその国家の役人が、しかも勤勉な真摯《しんし》な従順な役人が、一人ならずいたのである。彼らの理論上の暴力は、彼らの虚弱や彼らの怨恨《えんこん》や彼らの生活の圧搾などの反動だった。しかしまたことに、彼らの周囲に唸《うな》ってる暴風雨の前兆だった。理論家は気象学者に似ている。彼らが学術語で言うところのものは、将来の天候ではなくて、現在の天候である。彼らは風の方向を示す風見である。彼らは向きを変えるときには、自分が風の方向を変えさしたのだと思いがちである。
実は風の方向が変わっていた。
あらゆる観念は、民主国では早く磨滅《まめつ》する。その伝播《でんぱ》が早ければ早いほど磨滅も早い。フランスにおいていかに多くの共和主義者らが、五十年足らずのうちに、共和や一般投票や、その他熱狂して獲得された多くの自由に、飽き果ててしまったことだろう! 多数ということにたいする拝物教的崇拝のあとに、また、神聖なる大多数者を信じて人類の進歩をそこから期待する呑気《のんき》な楽天主義のあとに、今は暴力の精神が吹き荒れていた。みずからおのれを統御することにおける大多数者の無能力、金銭に左右される無節操、不甲斐《ふがい》ない無気力、あらゆる優秀にたいする卑しい怯懦《きょうだ》な反発、圧倒的な卑劣などは、反抗を惹起《じゃっき》せしめていた。元気|溌溂《はつらつ》たる少数者は――すべての少数者は――腕力に訴えていた。滑稽《こっけい》ではあるがしかも必然的な接近が、フランス行動派[#「フランス行動派」に傍点]の王党員らと労働総組合[#「労働総組合」に傍点]の産業革命主義者らとの間になされていた。バルザックはどこかで、彼の時代のそういう人々のことをこう言っている。「性癖から言えば貴族であって[#「性癖から言えば貴族であって」に傍点]、ただ自分の同類中に多くの劣等者を見出さんがためにのみ[#「ただ自分の同類中に多くの劣等者を見出さんがためにのみ」に傍点]、心ならずも共和主義者となっている人々[#「心ならずも共和主義者となっている人々」に傍点]。」――貧弱な楽しみなるかな! それらの劣等者を強《し》いてみずから劣等者だと自認せしめなければいけない。そしてそのためには、優秀者を圧迫している多数に向かって、優秀者――労働階級もしくは有産階級の優秀者――の最上権を承認せしむる一つの権力以外に、なんらの方法もない。年若い知識階級の者や高慢な小有産階級の者が、王党もしくは革命党になってるのは、傷つけられた自尊心や民主的な平等にたいする憎悪の念などによってであった。そして私心のない理論家らが、暴力の哲学者らが、善良な風見として、彼らの上方につっ立って、嵐《あらし》を告げる赤旗となっていた。
また最後に、霊感を求めてる文学者――書くことを知ってはいるが何を書くべきかをよく知らない人々、の一隊があった。あたかもアウリスの港におけるギリシャ人のように、凪《な》ぎつくした静穏に封じ込められて、彼らはもう前進することができず、いかなる風にてもあれ帆を孕《はら》ますべき順風を、待ち焦がれているのである。――そのうちには、世に高名な人々、ドレフュース事件のために意外にも文筆の業から離れて、公衆の会合に投げ込まれた人々も、見受けられた。先導者らが得意になったほど、その例に倣《なら》う者があまりに多かった。多数の文学者らが、今では政治を事として、国務を司《つかさど》らんと考えていた。彼らにとってはすべてのことが、団結を作り、宣言を発し、カピトールの殿堂を救うべき、口実となっていた。前衛の知識者らのあとには、後衛の知識者らが控えていた。両方とも同じくらいの価値の人々だった。どちらも他方の者を知識者として取り扱い、また自分をもみずから知識者として取り扱っていた。幸いにも血脈中に民衆の血を数滴所有してる人々は、それを光栄としていた。その中にペンを浸して書いていた。――すべての者が皆有産者で不満をいだいていて、有産
前へ
次へ
全37ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング