どって来ると、追憶とともに室に閉じこもって、子供やクリストフへ会いに行くほかは外出しなかった。彼にとってその住居は家庭ではなかった。過去の面影が固着してる暗室だった。室が暗くて無装飾であればあるほど、ますますはっきりと映像が浮き出してくるのだった。彼は階段ですれ違う人々の顔にもほとんど注意を向けなかった。けれども知らず知らずのうちに、ある幾つかの顔が彼の頭に残っていた。ある種の精神の人々は、事物を過ぎ去ったあとにしかよく見ようとしない。しかし過ぎ去ったあとでは、何にも彼らの眼をのがれるものはなく、ごく些細《ささい》な事物までが深く刻みつけられている。オリヴィエもそういう種類の男だった。彼は生きてる人々の影でいっぱいになっていた。一つの感動に打たれると、それらの影が浮き上がってきた。するとオリヴィエはびっくりし、知り合いでもなかったそれらの影を認め知り、時としては手を差し出してとらえようとした……がもう時期遅れだった。
ある日彼は、家から出かけるとき、門の前に人だかりがしてるのを見た。そのまん中で門番の女がしゃべりたてていた。彼はあまり好奇心を覚えなかったので、訳を尋ねもしないで通り過
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