かげで、言葉の助けをかりなくとも自然になされたのである。
 二人ともあまり話はせずに、一人は芸術のうちに、一人は追憶のうちに、浸り込んでいた。オリヴィエの苦悩は和らいでいった。しかし彼はそのために少しも努力をしたのではなく、かえって苦悩を喜んでるくらいだった。苦悩こそ長い間、彼の唯一の生存の理由だった。彼は自分の子供を愛していた。しかしその子供は――泣きたてる赤児は――彼の生活のうちに大なる場所を占めることはできなかった。父親というよりも多く情人である者が世にはある。それを憤慨するのは無益のわざだろう。自然は一様なものではない。同じ心の法則を万人に強《し》いんとするのは馬鹿《ばか》げたことだろう。何人《なんぴと》も心のために義務を犠牲にするの権利をもってはしない。しかし少なくとも、義務を果たしながらも幸福を感じないという権利を、心に認めてやらなければならない。オリヴィエが自分の子供のうちにおそらく愛したところのものは、子供を作り上げた肉体の所有者たる彼女をであった。
 最近まで彼は、他人の苦しみにはあまり注意を払わなかった。彼はあまりに自分のうちに閉じこもってる知者だった。それは利己心
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