う、と彼はよく知りつくしていた。ブラウンはいかに心がくじけることだろう!……どんな眼でクリストフをながめるだろうか! クリストフはその眼の非難に立ち向かい得ない気がした。――そして、おそかれ早かれブラウンは知るにきまっていた。すでにもう何かを疑ってはいなかったろうか。クリストフは二週間の不在のあとにふたたび会ってみて、彼の様子の変わったのに心を打たれた。もうそれは同じブラウンではなかった。その快活は消えてしまっていた、もしくはどこかわざとらしい点があった。食卓では、口もきかず物も食べずランプのように燃えつきかけてるアンナのほうを、じろじろぬすみ見ていた。そして気おくれのした痛々しい親切さで、なんとか彼女の世話をやこうとした。彼女はそれらの注意を手ひどくしりぞけた。すると彼は皿の上に顔を伏せて黙った。食事の最中に、アンナは息苦しくなって、ナプキンを食卓の上に放り出して出て行った。あとに残った二人は、黙々として食事を済ました。もしくは済ましたふうを装った。二人は眼もあげかねた。食事が済むと、クリストフは出て行こうとした。ブラウンはその腕をふいに両手でとらえた。
「クリストフ!……」と彼は言った。
クリストフは心乱れて彼をながめた。
「クリストフ、」とブラウンは繰り返した――(その声は震えていた)――「彼女がどうしたのか君は知ってやしないか。」
クリストフは刺し通されたような心地がした。しばし返辞が出なかった。ブラウンはおずおずと彼をながめていた。そして急に詫《わ》びを言った。
「君もよく見かけるとおり、彼女は君に何かと打ち明けてるものだから……。」
クリストフはブラウンの両手に唇《くちびる》をあてて許しを求めようとしかかった。しかしブラウンはクリストフの転倒した顔色を見、ぞっとして、すぐにもう知りたくなくなった。眼つきで懇願しながら、急いで早口に言いすてた。
「いや、そうじゃない、君は何にも知らないんだね。」
クリストフは心くじけて言った。
「知らない。」
おう、辱《はずかし》められた相手に断腸の思いをさせる事柄だからといって、自責し卑下することのできないその苦しさ! 尋ねかけてくる相手の眼の中に、心進まぬことを、真実を知りたがっていないことを、読みとるときに、真実を言うことのできないその苦しさ!……
「そうだ、そうだ、ありがとう、ほんとにありがとう……。」と
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