の面前でやってる友人らとは、交わりを絶ってしまったのだった……。しかるに今や彼のほうで、同じ汚辱によって身を汚したのである! そしてその罪悪の事情は彼をなお忌むべきものとなしていた。彼はこの家へ、病み疲れた惨《みじ》めな状態でやって来たのだった。そして友人から迎えられ、助けられ、慰められた。友の親切は終始一貫していて、少しも薄らいだことがなかった。彼は今でもなお友のおかげで日を過ごしていた。しかもその恩返しに、名誉と幸福とを、家庭のつつましい幸福を、友から盗んでしまったのである。卑劣にも友を裏切ったのである。それもだれといっしょにか? 自分が見知りもせず、理解しもせず、愛してもいない女といっしょに……。愛してもいない、というのか? 否、彼の全身の血はそれに反対していきり立った。彼女のことを思うや否や、彼は火の激流のために焼きつくされた。そしてそれを言い現わすためには、恋愛というもあまりに弱い言葉だった。それは恋愛ではなかった。しかも恋愛より千百倍以上のものだった……。彼はその夜を暴風雨の心地で過ごした。起き上がって、冷水の中に顔を浸し、息もつけずに打ち震えた。その懊悩《おうのう》のはては熱の発作となった。
 打ちくじかれた心地で起き上がったとき彼は、彼女がいかに自分よりも多く恥ずかしさに圧倒されてるだろうかと考えた。彼は窓のところへ行った。太陽がぎらぎらした雪の上を照らしていた。庭には、アンナが一本の綱に下着類を広げていた。彼女は仕事のほうに注意をこらして、何物にも心を乱されていないらしかった。歩行にも身振りにもある品格があって、それが彼にはまったく眼新しく、なんだか彫像の動作をでも見てるような気がした。

 午《ひる》の食事のときに、二人は顔を合わした。ブラウンは終日不在だった。クリストフはとうてい彼と会うに堪え得なかったであろう。彼はアンナに話しかけたかった。しかし二人きりではなかった。女中が行ったり来たりしていた。二人は用心しなければならなかった。クリストフはアンナの眼をとらえようとしたが駄目だった。彼女は彼をながめてはいなかった。心乱れた様子は少しもなかった。そしてわずかな動作のうちにもやはり、いつもに似合わぬ確実さと上品さとがこもっていた。食事のあとに彼はもう話し合えることと思った。しかし女中はなお居残って、後片付けにぐずついていた。二人が隣室に移っても、
前へ 次へ
全184ページ中133ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング