やられた。庭には大寺院の影が重く落ちていた。彼女は片隅《かたすみ》にすわったまま身動きもしなかった。木の葉のそよぎに耳を傾け、虫の群がってるのをうちながめていて、面白くもあれば恐《こわ》くもあった。――彼女は悪魔を恐れていたことを省略した。当時彼女の想像は悪魔につきまとわれていた。悪魔が教会堂の中にはいることができないで、まわりをうろついている、という話をきかされていた。そして彼女は、蜘蛛《くも》や蜥蜴《とかげ》や蟻《あり》など、木の葉の下、地面の上、または壁の裂け目に、うようよしてる、無格好な小さな動物の形の下に、悪魔を見るような気がしていた。――それから彼女は、自分の住んでた家のこと、日の射《さ》さない自分の室のこと、などを話した。彼女はそんなものを喜んで思い起こした。眠れない夜をそこで過ごしながらいろんなことを考えめぐらしたのだった……。
「どんなことですか。」
「馬鹿げたことですわ。」
「話してください。」
 彼女は嫌《いや》だと頭を振った。
「なぜです?」
 彼女は顔を赤らめ、つぎには笑って、言い添えた。
「そして昼間働いてる間もそうでした。」
 彼女はそのことをちょっと考え、ふたたび笑って、こう言葉を結んだ。
「それは馬鹿げたことなんです、いけないことなんです。」
 彼は冗談に言った。
「では恐《こわ》くなかったんですね。」
「何が?」
「神の罰を受けるのが。」
 彼女の顔は冷たくなった。
「そんなことを言ってはいけません。」と彼女は言った。
 彼は話頭を転じた。先刻争いながら彼女が示した力をほめた。彼女はまた信頼の表情に返って、小娘時代の乱暴を話した――(彼女は「腕白小僧時代の……」と言った。というのは、彼女は子供のころ、男の児《こ》の遊びや喧嘩《けんか》にはいりたがっていたから。)――あるときなんかは、自分より首だけ背の高い男の友だちといっしょになって、突然|拳固《げんこ》を食《くら》わした。きっと返報されることと思っていた。ところがその男の児は、彼女になぐられたと喚《わめ》きながら逃げていった。またあるときは、田舎《いなか》で、草を食ってる黒牛の背中によじ登った。牛は驚いて、彼女を樹木にたたきつけた。危うく死ぬところだった。また彼女は、二階の窓から飛べやしないと自分で思ったために、かえってそれをほんとうにやってみた。幸いにもちょっと身体をくじいただ
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