あるとして、二重に悪く見られていた。彼のほうから言えば、多くの不快な事柄が眼についた。彼はいくら信じまいとしても、カトリック教の古い痕跡《こんせき》をになっていた。それは論理的というよりもいっそう詩的であり、自然にたいして寛容であり、愛するか愛しないかが主眼であって、説明したり理解したりすることにそれほど齷齪《あくせく》しなかった。また彼は、パリーで知らず知らず得てきた知的および道徳的自由の習慣をもっていた。彼はどうしてもその祗虔主義《ピエティスム》の小社会と衝突せずにはいられなかった。そこではカルヴァン派の精神的欠陥が誇大に現われていた。それは信仰の翼を切ってつぎに信仰を深淵《しんえん》の上につるしておく、宗教上の純理主義であった。なぜなら、あらゆる神秘説と同様に議論の余地ある、一つの先入見《ア・プリオリ》から出発していたからである。それはもはや詩ではなく、散文でもなく、散文化された詩であった。理知的|傲慢《ごうまん》であり、理性にたいする――自分の[#「自分の」に傍点]理性にたいする――絶対的な危険な信仰であった。彼らは神をも不滅をも信じないでいられた。しかし、カトリック教徒が法王を信じあるいは拝物教徒が偶像を信ずるように、彼らは理性を信じていた。理性を論議することは念頭にも浮かべなかった。人生が理性に矛盾するならば、むしろ人生のほうを否定したであろう。心理が欠乏しており、自然にたいして、隠れたる力にたいして、生存の根源にたいして、「大地の霊」にたいして、無理解だった。一つの人生をこしらえ出し、幼稚な単純化した概要的な生存をこしらえ出していた。彼らのうちのある人々は、教養があり実務の才があった。読書も見聞も広かった。しかし何事にも実際どおりに見たり読んだりしてはいなかった。抽象的な帰納ばかりを事としていた。血液の量が貧弱だった。精神上のすぐれた性質をもってはいたが、十分に人間的ではなかった。そしてこの人間的でないということこそ、最上の罪過である。彼らの心の純潔さは、たいていきわめて現実的であり、高尚で率直であり、時としては喜劇的であったが、不幸にもある場合には悲劇的となった。その心の純潔のために彼らは、他人にたいして酷薄になり、自己を信じきった冷静平然たる驚くばかりの不人情になった。どうして彼らは躊躇《ちゅうちょ》することがあったろう。真理と権利と徳とを自分のほ
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