ん+僭のつくり」、143−18]有《せんゆう》していたので、なおいっそう堅く人目に扉《とびら》を閉ざしていて、その奥にいかなることが起こってるかを知るのは不可能だった。土地を離れて解放されたように思ってる人々でさえも、その土地にふたたび足を踏み込むや否や、町の伝統と習慣と空気とにとらえられるかのようだった。もっとも信仰の薄い人々でもすぐに、宗務を守り信仰することを強《し》いられた。信仰しないということは、自然に反することのように彼らには思われたに違いない。信仰しないということは、風儀の悪い下賤《げせん》な階級のことどもだった。宗教上の義務を怠ることは、彼らの社会には許されなかった。宗務を守らない者はその階級から放逐されて、もうふたたび受けいれられることがなかった。
そういう規律の重みだけではまだ足りないかのようだった。彼らはその階級中に十分結合されてるとは思っていなかった。その大きな団体《フェライン》の内部に、彼らは自分をすっかり束縛するために多数の小団体をこしらえていた。幾百もの団体があって、しかも年々さらに増していった。博愛事業のためにも、信仰事業のためにも、商売事業のためにも、商売と信仰とを兼ねた事業のためにも、美術のためにも、学問のためにも、歌や音楽のためにも、精神的鍛錬のためにも、肉体的鍛錬のためにも、また単に集合するためにも、いっしょに楽しむためにも、あらゆることのために団体があった。町内の団体もあれば、同業組合の団体もあった。同じ身分と同じ財産とをもってる者、同じ勢力をもってる者、同じ名前をもってる者など、さまざまの団体があった。フェラインローゼン(いずれの団体《フェライン》にも属していない人々)は十人足らずであったけれど、それらの人々の団体を一つこしらえる意向があるとさえ言われていた。
町と階級と団体との三重の胸当ての下に、人の魂は縛られていた。隠れたる抑制のために性格は圧迫されていた。多くの人々は、幼年時代から――数世紀以前から――それらに馴《な》らされていた。そしてそれを健全なことだと思っていた。その胸当てをはずすのは不穏当な不健全なことだと考えがちだった。彼らの満足げな微笑を見ては、彼らが窮屈を感じていようとはだれにも思えなかった。しかし自然は返報をしていた。遠い間を置いてときどき、反抗した個人が、強健な芸術家や無拘束な思想家が、そこから出
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