ジャン・クリストフ
JEAN−CHRISTOPHE
第八巻 女友達
ロマン・ローラン Romain Rolland
豊島与志雄訳

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)無駄《むだ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一粒|選《よ》りの

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]
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 フランス以外で成功を博しかけていたにもかかわらず、クリストフとオリヴィエの物質的情況は、なかなかよくなってゆかなかった。きまってときどき困難な時期がやってきて、空腹な思いをしなければならなかった。その代わり金があるときには、平素の二倍も食べて補っていた。けれどそれも長い間には、結局身体を弱らす摂生法だった。
 今またちょうど二人は不如意な時期にあった。クリストフは夜中過ぎまで起きていて、ヘヒトから頼まれた編曲の無趣味な仕事を片付けた。寝たのは明け方近くで、無駄《むだ》なことに費やした時間を取り返すために、ぐっすり眠ってしまった。オリヴィエは早くから出かけていた。パリーの向こう側の場末で講義をしなければならなかったのである。八時ごろに、手紙を届けに来る門番の男が呼鈴を鳴らした。いつもならその男は、強《し》いて起こさないで扉《とびら》の下へ手紙を差し入れてゆくのだった。がその朝に限って扉をたたきつづけた。クリストフは寝ぼけながら、ぶつぶつ言って扉を開きにいった。門番は微笑しながら盛んにしゃべりたてて、ある新聞記事のことを言っていたが、クリストフはそれに耳を貸さず、顔も見ないで手紙を引ったくり、扉を押しやったままよくも閉《し》めずに、また寝床にはいって、前よりもなおぐっすりと眠った。
 一時間ばかり後にまた、彼は室の中の人の足音にはっと眼を覚《さ》ました。そして寝台の裾《すそ》のほうに、見知らぬ顔の人が丁重に会釈してるのを見て、呆気《あっけ》にとられた。それはある新聞記者で、扉が開《あ》いてるのを見て遠慮なくはいり込んで来たのだった。クリストフは腹をたてて飛び起きた。
「何をしにここへ来たんです?」と彼は叫んだ。
 彼は枕《まくら》をつかんで、その侵入者に投げつけてやろうとした。侵入者は逃げ出すような態度をしたが、それから二人で話し合った。男はナシオン[#「ナシオン」に傍点]新聞の探訪員で、グラン[#「グラン」に傍点]・ジュールナル[#「ジュールナル」に傍点]新聞に出た評論に関して、クラフト氏に面会したがってるのだった。
「どんな評論ですか。」
「まだお読みになりませんか。」
 探訪員は説明の労をとってくれた。
 クリストフはまた寝てしまった。眠気のためにぼんやりしていなかったら、相手を外に追い出すところだった。しかし勝手にしゃべらしておくほうが大儀でなかった。彼は蒲団《ふとん》の中にもぐり込み、眼を閉じ、眠ったふりをした。そしてそのままほんとうに眠ってしまうところだった。しかし相手は執拗《しつよう》で、評論の初めを声高に読みだした。クリストフはすぐに耳をそばだてた。クラフト氏は当代の音楽的天才だと書かれていた。クリストフは眠ったふりをする役目を忘れて、びっくりした怒鳴り声をたて、上半身を起こして言った。
「其奴《そいつ》らは狂人《きちがい》だ。何かに取り憑《つ》かれてる。」
 探訪員はそれに乗じて読むのをやめ、いろんな質問をかけ始めた。クリストフはなんの考えもなくそれに答えた。新聞を取り上げて、第一ページにのってる自分の肖像を茫然《ぼうぜん》とながめた。しかしその評論を読むだけの隙《ひま》がなかった。新聞記者がも一人はいって来たのだった。こんどは彼も本気に腹をたてた。出て行ってしまえと怒鳴りつけた。しかし彼らは少しも出て行こうとしなかった。室内の家具や壁の写真などの配置から、本人の顔つきまでを、手早く書き止めてしまった。クリストフは笑いだしまた怒りだして、彼らの肩をとらえて押しやり、シャツのまま外に送り出して、そのあとから扉《とびら》に差し金をおろしてしまった。
 しかしその日はどうしたことか、彼は一人落ち着いてることが許されなかった。身仕舞いを終わるか終わらないうちに、ふたたび扉をたたく者があった。ただ数人のごく親しい者のみが知ってる一定のたたき方だった。クリストフは扉を聞いてみた。するとそれも見知らぬ男だった。彼はすぐに追い出そうとした。が相手は言い逆らって、自分こそあの新聞評論の筆者であるということを楯《たて》にとった。天才だとほめてくれる者を追い出す法はない! クリストフは嫌々《いやいや》ながらも、崇拝者の感激の言葉を聞いてやらざるを得なかった。彼は天から降ってきたような突然の名声に驚いて、前日何か傑作をでもみずから知らずに演奏させたのかしらと怪しんだ。しかしよく調べてみるだけの余裕がなかった。その新聞記者がやって来たのは、社長閣下のアルセーヌ・ガマーシュ自身が彼に会いたがってるので、ぜひとも彼を引っ張り出して、すぐに新聞社へ連れてゆくためにであった。下に自動車も待っていた。クリストフは断わろうとした。しかし率直な感じやすい彼は、相手の好意的な勧誘に会って、ついに心ならずも我《が》を折った。
 それから十分ばかりして、彼は社長に紹介された。この絶対主権者の社長の前では、すべてのものが震えおののいていた。五十年配の強健な快男子で、背が低くむっくりしていて、丸い大きな頭、角刈りにした灰色の頭髪、赤い顔、横柄な言葉つき、重々しい誇張的な音調、そしてときどきごつごつした快弁を弄《ろう》した。彼はその絶大な自信の念をもってパリーにのしかかっていた。事務家で、敏腕家で、利己的で、率直でまた狡猾《こうかつ》で、熱情的で、一人よがりである彼は、自分の仕事をフランスの仕事と同一視し、人類の仕事とさえも同一視していた。自分の利益と自分の新聞の繁栄と社会の安泰[#「社会の安泰」に傍点]とを、彼は同種のものだと見なし、密接に関係してるものだと見なしていた。自分に害を与うるものはフランスに害を与うるものだと、確信しきっていた。私敵を撲滅するためには、断然国家をも転覆しかねなかった。それでも彼は、寛仁な行ないをなし得ないではなかった。腹がいっぱいなときに人は理想家となるごとく、彼も一種の理想家であって、父なる神のごとくに、塵《ちり》の中から憐《あわ》れな人間をときどき引き出してやるのを好んでいた。そしてそれは、無から光栄をもこしらえ出し、大臣をもこしらえ出し、意のままに国王をもこしらえたり廃したりし得るという、自分の偉大な力を示さんがためであった。彼の権能はすべてのものに及んでいた。気に入れば天才をもこしらえ出していた。
 その日彼は、クリストフを「こしらえ」たのだった。

 知らず知らずにその先鞭《せんべん》をつけたのは、オリヴィエだった。
 オリヴィエは自分のためにはなんらの奔走もしなかったし、ひどく広告をきらっていて、黒死病《ペスト》をでも避けるように新聞記者を避けていたけれど、事が自分の友に関係するときには、他に尽くすべき義務があると考えていた。世のやさしい母親、正直な中流婦人、りっぱな人妻は、そのやくざな息子《むすこ》へ何かある特典を得させることができるならば、自分の身体を売ってもいいと思っているが、オリヴィエもちょうどそれに似ていた。
 オリヴィエは諸雑誌に筆を執っていたし、多くの批評家や文芸愛好家と接触していたので、おりがあればかならずクリストフの噂《うわさ》をしていた。そしてしばらく前から、自分の言葉が聞きいれられてるのを見て我ながら驚いた。文学界や社交界に広まってゆく、一種の好奇の動きを、一種の妙な風説を、彼は周囲に感知した。その起源はなんであったろうか、イギリスやドイツでクリストフの作品が最近演奏されたのにたいする、新聞紙の多少の反響であったろうか。いや、はっきりした原因があるのではなさそうだった。それは、パリーの空気を吸っていて、サン・ジャック塔の気象台よりもなおよく、どういう風が起こりかけていて明日はどうなるということを、前日から知ってるような、見張りを事としてる精神の人々には、よくわかってる現象の一つだった。電気の震動が通ってるこの神経質な大都会のうちには、眼に見えない光栄の潮流があり、露《あら》わな名声に先立つ隠れたる名声があり、客間の漠然《ばくぜん》たる風評があり、時至れば広告的論説となって現われてくる、イーリアス以上のもの出づ[#「イーリアス以上のもの出づ」に傍点]があり、新しい偶像の名前をもっとも堅い鼓膜にも響き通らせる、太鼓の太音があるのである。それにまた時とするとその大らっぱは、賞賛の対称たる当人のもっとも親しいもっともよい友人らを逃げ出させることすらある。けれどその責任は友人らのほうにもある。
 ところでオリヴィエは、グラン[#「グラン」に傍点]・ジュールナル[#「ジュールナル」に傍点]の評論に関係があった。彼は人々がクリストフにたいして示してる興味を利用し、巧みな報道によってそれを煽《あお》りたてさせるだけの注意をとった。用心してクリストフを直接に新聞記者と接触させはしなかった。何か面白くないことが起こりはすまいかと恐れたのだった。けれど、グラン[#「グラン」に傍点]・ジュールナル[#「ジュールナル」に傍点]の求めにより、策略をもってクリストフに気づかれないようにして、彼と一人の探訪員とをある珈琲店の食卓で出会わした。それらの用心は、ますます人の好奇心を刺激し、クリストフをいっそう面白い人物にした。オリヴィエはまだかつて公表機関との交渉に経験がなかった。一度動き出したらもう取り締まることも抑制することもできない恐るべき機械を、自分が動かすようになろうとは考えに入れていなかった。
 で彼は、講義に出かける道すがら、グラン[#「グラン」に傍点]・ジュールナル[#「ジュールナル」に傍点]の評論を読むと呆然《ぼうぜん》としてしまった。そんなひどいことを書かれようとは予期していなかった。新聞というものは、あらゆる調査をよせ集めて、書くべき対象を多少ともよく知りつくしてから、初めて筆にのぼすものだと、彼は考えていた。がそれはあまりに世間知らずだった。新聞が一つの新しい光栄者を発見するの労をとる場合には、それはもちろん新聞自身のためであって、発見の名誉を他の新聞から奪わんがためにである。それで、讃《ほ》めるものを少しも理解しなくても構わず、ただ急いでやらなければならない。しかし作家のほうでそれをぐずぐず言う者はめったにない。賞賛されるときにはいつもかなり理解されてるわけだから。
 グラン[#「グラン」に傍点]・ジュールナル[#「ジュールナル」に傍点]はまず、クリストフの悲惨な境遇についてばかばかしいことを述べたて、クリストフをドイツの専制主義の犠牲者だとし、自由の使徒だとし、帝国主義のドイツからのがれて、自由な魂の避難所たるフランスへ逃げ込んだのだと言い――(熱狂的な愛国心の台辞《せりふ》を並べるにはいい口実である)――つぎに、彼の天才を激賞していた。しかし彼の天才について実際は何にも知っていなかった――彼がドイツにいるときの初期の作で、今では自分でも恥ずかしがってなくしてしまいたがってる、二、三の平凡な旋律《メロディー》以外には、何にも知っていなかった。けれどその評論の筆者は、クリストフの作品については無知であっても、クリストフの意図をもって――彼がクリストフの意図だとしてるものをもって、足りないところを補っていた。あちらこちらで拾い上げたクリストフやオリヴィエの二、三言、クリストフのことなら知りつくしてると自称してるグージャールみたいな連中の言葉、それだけでもう筆者にとっては、「共和的な天才――民主主義の大音楽家」たるジャン・クリストフの面影を作り出すのに、十分だったのである。筆者はこの機会に乗じて、現代フランスの音楽家ら、ことに民主主義
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