えなかった。それにまたクリストフは、他のいろんなことに気をとられていた。彼はオリヴィエのことを考えていた。フランソアーズのことを考えていた。現にその朝ある新聞で、彼女がサン・フランシスコにおいて重い病気にかかってるということを、読んだのだった。他国の町にただ一人ぽっちで、旅館の一室に横たわり、だれにも面会を断わり、友人たちへも手紙を書かず、歯をくいしばって、一人で死を待っている、そういう彼女の姿を彼は頭に浮かべたのだった。
 クリストフはそれらの考えにつきまとわれて、大勢の人込みを避け、小さな別室に退いた。薄暗いその隠れ場所で、壁に背をもたせ、緑の木と花との仕切りの後ろから、シューベルトの菩堤樹[#「菩堤樹」に傍点]を歌ってるフィロメールの哀切な熱烈な美声に、彼はじっと耳を傾けていた。するとその純な音楽のために、いろんな追憶の憂愁が心に上ってきた。正面の壁についてる大きな鏡には、隣の大広間の燈火や活気が写っていた。が彼はその鏡を見はしないで、自分の内部をながめていた。眼の前には涙の霧がかかっていた。……と突然、シューベルトの打ち震える老木のように、彼は理由もなく震えだした。そのまま身動
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