着の時と出発の時にこれをお示しなさい。気をつけて、人目をひかないようになさいよ。」
クリストフはも一度、故郷の土地に再会した。その土地とその地中にいる人々とだけ話を交えて、与えられた二日間を過ごした。彼は母の墓を見た。草が生《は》えていた。しかし近ごろ手向《たむ》けられた花があった。それと相並んで父と祖父とが眠っていた。彼は彼らの足下にすわった。墓は囲いの壁を背にしていた。壁の向こうの隘路《あいろ》に生えてる一本の栗《くり》の木が、影を投げていた。その低い壁越しに、金色の農作物が見えていた。なま暖かい風がそれに柔らかい波を打たせていた。うつらうつらしてる土地の上に太陽が照り渡っていた。麦畑の中には鶉《うずら》の鳴き声が聞こえており、墓の上には糸杉《いとすぎ》のやさしいそよぎが聞こえていた。クリストフはただ一人きりで、夢想にふけった。心は静かだった。膝《ひざ》のまわりに両手を組み背中を壁にもたせてすわりながら、空をながめていた。ちょっと眼瞼《まぶた》を閉じた。ああすべてがなんと簡素なことだろう! 彼は自分の家で骨肉の人々に取り巻かれてる心地がした。手を取り合ってるがように彼らのそばに
前へ
次へ
全339ページ中231ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング