。ある晩彼は夕飯の御馳走《ごちそう》になりに来て、いつもよりおそくまで話し込んでると、激しい雷雨が起こった。終列車に乗るため出発しかけたときには、雨と風とが猛《たけ》りたっていた。彼女は彼に言った。
「出かけるのはおよしなさいよ。明朝帰ることになさいよ。」
彼はその小さな客間の一時こしらえの寝床についた。薄い仕切りがセシルの寝室を隔ててるきりだった。扉《とびら》も閉《し》められていなかった。寝床の中の彼のところまで、向こうの寝台の音や若い女の静かな息の音が聞こえてきた。そして五分もたつと彼女はもう眠っていた。彼もほどなく眠ってしまった。濁った思いの影さえ二人の心をかすめはしなかった。
またそのころ彼には、他の未知の友が幾人かできた。彼の作品を読んでひきつけられた人たちだった。その多くはパリーから遠くに住み、または人を避けた生活をしていたので、彼に出会えるわけがなかった。成功というものはたとい粗末な成功にせよ、いくらかよいものである。新聞の馬鹿げた記事の仲介でもなければけっして手の届きそうにない、遠く離れた多くの善良な人々に、芸術家を知らしてくれるのである。クリストフはそういう人た
前へ
次へ
全339ページ中102ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング