に言わせると、クリストフは天才はないにしても、執拗《しつよう》な勉励でりっぱな運命をかち得られるのに、悪質の香《かお》りで酔わされて、未来を駄目にされてるのだった。それは実に気の毒なことだった。彼を明るみに引っ張り出さないで、辛抱強く勉強さしておくことが、なぜできなかったのか?
 オリヴィエはりっぱに答え返し得たはずである。
「勉強するためには、食べなければならない。だれがクリストフにパンを与えてくれるか?」
 しかし彼らはそんなことにまごつきはしなかったろう。いかにも従容《しょうよう》として答えたに違いない。
「そんなことは些事《さじ》にすぎない。人は苦しまなければいけない。」
 もとより、そういう堅忍論を公言する者は、安楽な人々であった。ある正直者が財産家のもとへ、一人の困ってる芸術家を助けてくれと頼みに行ったとき、その財産家はつぎのように言ったそうである。
「しかし君、モーツァルトは困窮のために死んだではないか。」
 ところが、モーツァルトは生きるのが本望だったことや、クリストフは生きようと決心してることなどを、オリヴィエが彼らに言ったとしたら、彼らはそれを悪趣味だと考えるに相違なかった。

 クリストフはそういうつまらない喧騒《けんそう》が厭《いや》になりだした。いつまでもつづくのかしらと怪しんだ。――けれど二週間もたつと、すっかりおしまいになった。新聞にはもう彼のことが書かれなくなった。ただ彼は世間に知られた。彼の名前が口にのぼるときには、「あれはダヴィデ[#「ダヴィデ」に傍点]の作者だ、ガルガンチュア[#「ガルガンチュア」に傍点]の作者だ、」と人は言わないで、「ああそう、グラン[#「グラン」に傍点]・ジュールナル[#「ジュールナル」に傍点]の男だ、」と人は言った。それが有名なるゆえんだった。
 オリヴィエはクリストフのもとに来る手紙の数によって、また自分のところへまで反射的にやってくる手紙の数によって、クリストフが有名になったことを気づいた。歌劇脚本作者からの提議、音楽会主催者からの申し込み、多くは初め敵だった新しい味方からの友情表白、婦人からの招待、などがやってきた。また新聞の調査用として、いろんなことについてクリストフは意見を求められた。フランスの人口減少問題、理想主義芸術の問題、婦人のコルセットの問題、芝居の裸体問題、――ドイツは頽廃《たいはい》し
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