をさらに完全にしようと思いたったのだった。彼は病に苦しんでる子供を見ると、断腸の思いがして堪えられなかった。しかしまた、憐《あわ》れな小さき者の一人を病苦から救い出し得たときには、蒼《あお》ざめた微笑がその痩《や》せこけた顔に初めて現われてきたときには、いかにえも言えぬ喜びだったろう! ヴァトレーの心はとろけそうになった。天国的な瞬間だった……。そのために彼は、世話をしてやった者らについてしばしば厭《いや》な思いをしたことを忘れるのだった。彼らのうちで彼に感謝の意を表わす者はめったになかった。また一方では、きたない足をした多くの者が彼のところへ階段を上がってゆくのを見て、門番の女は腹をたて、苦々《にがにが》しげに苦情を言った。また家主のほうでは、無政府主義者らの会合ではないかと気づかって、いろいろ不平を言っていた。ヴァトレーは移転しようかと考えたが、それもめんどうだった。彼にはちょっとした癖があった。温和でもあり頑固《がんこ》でもあった。彼は人の言うことをそのまま放っておいた。
クリストフはいつも子供らに愛情を示すので、多少ヴァトレーの好感を得た。子供にたいする愛が二人をつなぐ糸だった。クリストフはヴァトレーの少女に出会うことに、なんだか胸迫る思いがした。なぜなら、意識をまたずに本能がじかに見てとる神秘な形体の類似によって、その少女は彼にザビーネの娘を思い出させ、遠い最初の恋を、心からかつて消えなかった無言のやさしみをもってるあの儚《はかな》い面影を、彼に思い起こさしたのである。それで彼はその蒼白《あおじろ》い少女に興味をもった。彼女はかつて飛んだり駆けたりする姿を見せたことがなく、ほとんど人に聞こえる声をたてたことがなく、同年配の友だちを一人ももたず、いつも独《ひと》りで黙っていて、人形や木片で一つ所にじっと音もたてず遊びながら、ぶつぶつ唇《くちびる》を動かして何か独言《ひとりごと》を言っていた。やさしげで無頓着《むとんじゃく》だった。彼女のうちには何かよそよそしい落ち着かないものがあった。しかし養父は彼女をあまり愛しすぎてそれに気づかないでいた。ああ、その落ち着かなさ、そのよそよそしさ、それはわれわれの血肉を分けた子供たちのうちにさえ常に存在しないであろうか?……――クリストフは、その小さな孤独者を技師の娘たちと近づきになしてやろうとした。しかしエルスベルゼのほうからもヴァトレーのほうからも丁寧なしかし明白な謝絶に接した。その人たちは、各自別々な箱の中に生き埋めになることを、名誉にかけても欲してるがようだった。厳密に言えば、彼らはたがいに助け合うことを承諾したはずである。しかしどちらも、自分のほうが助力を求めてるのだと思われはすまいかと恐れていた。そしてどちらも同じくらいの自尊心を――また同じぐらいの不安定な境遇を――もっていたので、どちらか一方が思い切って初めに手を差し出すということは、望まれないことだった。
三階の大きいほうの部屋は、たいていいつも空《あ》いていた。家主がそれを自分の用に取りのけておいたのである。しかも家主はかつてそこに住んだことがなかった。彼は元商人だったが、前もって定めておいた一定額の財産を儲《もう》けるとただちに、きっぱりと仕事をよしてしまったのだった。冬は|碧海の浜《コート・ダジュール》のある旅館、夏はノルマンディーの海岸というふうに、一年の大部分をパリー外で過ごし、他人の贅沢《ぜいたく》をながめ他人と同様に無駄《むだ》な生活を送りながら、わずかな費用で贅沢をしてるという心地を得てる、けちな金利生活者だった。
小さいほうの部屋は、アルノーという子供のない夫婦者に貸してあった。夫は四十から四十五くらいの年で、中学校の教師だった。講義や講義草稿や特別教授などの時間に疲れはてて、学位論文を書くことができず、ついにはまったく思い切ってしまった。細君は十歳年下で、おとなしくて極度に内気だった。二人とも頭がよく、教養があり、たがいに愛し合っていたが、だれも知人がなく、家に閉じこもってばかりいた。夫のほうは出かける隙《ひま》がなかった。細君のほうは隙がありすぎた。しかし彼女は感心な婦人で、気が鬱《ふさ》いできてもそれを押えつけ、ことに人へはそれを隠して、できるだけ仕事をし、読書をし、夫のためにノートをとってやったり、夫のノートを写し直したり、夫の衣服を繕ったり、自分の上衣や帽子を自分で仕立てたりした。彼女はときどき芝居へ行きたがった。しかしアルノーは別に行きたがらなかった。晩になると疲れきっていた。それで彼女もあきらめた。
彼らが非常な喜びとしてるのは音楽だった。二人とも音楽をたいへん好きだった。夫のほうは演奏ができなかった。細君のほうはできはしたがなかなかやれなかった。だれかの前で演奏するときには、夫の前で演奏するときでさえ、まるで子供のように恥ずかしがった。けれども彼らにはそれだけで満足だった。おずおずと口に上せるグルックやモーツァルトやベートーヴェンなどが、二人にとっては友となった。二人はそういう人々の生涯《しょうがい》を詳しく知っていて、彼らが受けた苦しみを思うと、しみじみと愛情を覚えさせられた。またりっぱな本や有益な本をいっしょに読むのも、二人にとっては楽しみだった。しかし現代の文学にはそういう本はほとんどない。作者らは、名声をも快楽をも金をももたらし得ないような人々――ちょうどこの二人の微賤《びせん》な読者のように、世の中に姿も見せず、どこにも筆を執らず、ただ愛し黙ることしか知らないような人々、それを相手にしてはいないのである。アルノー夫妻は、正直な敬虔《けいけん》な人々の心のうちでほとんど超自然的な性質を帯びてくる、ひそやかな芸術の光と、おたがいの愛情とだけで、多少寂しく――(これは否定できないことである)――孤独でややつまらなくはあるが、それでも平和に十分幸福に生きてるのだった。彼らは二人とも現在の地位よりずっとすぐれた人たちだった。アルノー氏は多くの思想をもっていた。しかし今ではそれを書くだけの時間も勇気もなかった。論説や書物を世に発表するには、あまりに多くの奮発が必要だった。それほど努力|甲斐《がい》のあることでもなかった。無益な虚栄心にすぎない。彼は愛する思想家らに比ぶれば取るに足らぬ者だと自分を思っていた。りっぱな芸術作品をあまりに愛していたので、自分自身で「芸術を作ろう」とは願わなかった。そういう志望は、横柄な滑稽《こっけい》なことだと考えられた。自分の役目はりっぱな作品を広めることのように思われた。それで彼は、自分の思想を生徒らに利用さしておいた。生徒らは後に彼の思想を利用して書物を作るだろう――もとより彼の名前を挙げはしないで。――書物の購買に彼ほど金を使う者はなかった。貧しい者こそ常にもっとも気前がよい。彼らはいつも書物を買う。富める者はただで書物を手に入れなければ不名誉なことと思ってるらしい。アルノーは書物のために金を使い果たしていた。それが彼の弱点で、欠点だった。彼はそれを恥じて細君に隠していた。とは言え、細君はそれを彼にとがめようとはしなかったし、自分でも同様のことをやりかねなかった。――それでも彼らは、イタリーへ旅するつもりで――なかなか実現できないことは自分でもわかっていたが、いつもりっぱな倹約の計画をたてていた。そしては金を残し得ないことをみずから笑っていた。アルノーは自分で自分を慰めた。愛妻と、それから研究と内心の喜びとの生活だけで、彼には十分だった。細君もそれで十分ではなかったろうか?――十分だと彼女は言っていた。多少彼女の上にも及んできて生活を輝かし安楽をもたらすようなある名声を、もし夫がもち得たらうれしいだろうということを、彼女は言い得なかった。内心の喜びはりっぱなものではある。しかし外部の多少の栄光も、時にはきわめてうれしいものだ!……しかし彼女は内気だったので何にも言わなかった。そのうえ、彼がもし名声を得ようと欲しても果たして得られるかどうかわからないことを、彼女はよく知っていた。今からではもう時期遅れだ!……彼らのもっとも残念なのは子供のないことだった。それを彼らはたがいに隠していた。そしてたがいにますます愛情深くなっていた。憐《あわ》れにもたがいに相手の許しを求めてるがようなものだった。アルノー夫人は親切で情愛に厚かった。エルスベルゼ夫人とも喜んで交際したに違いない。しかしまだなし得ないでいた、向こうからその気を見せてくれなかったので。クリストフにたいしては、夫妻とも近づきになりたがっていた。遠くに聞こえる彼の音楽に魅せられていた。しかしこちらから進み出てゆくことはどうしてもできなかった。彼らにはそれがぶしつけのように思われたのである。
二階は、フェリックス・ヴェール夫妻が全部占領していた。富裕なユダヤ人で、子供がなく、一年の半分はパリー付近の田舎《いなか》で過ごしていた。この家に二十年来住んでいた――(もっと財産相当の部屋を見つけるのは容易だったろうが、昔からの習慣でやはりそこにいたのである)――けれど、いつも通りがかりの他国者らしい様子をしていた。隣の人たちへかつて言葉をかけたことがなく、いつまでも最初やって来たときと同じようにあまり人から知られていなかった。しかしそのために、人からかれこれ言われないという訳にはゆかなかった。否その反対だった。彼らは人から好かれていなかった。そしてもちろん、人から好かれようともしなかった。それでも彼らはもっとよく知られてよいだけの価値をもっていた。夫妻ともすぐれた人たちでりっぱな知力をそなえていた。夫は六十歳ばかりになっていて、中央アジアの名高い発掘で世に知られたアッシリア学者だった。同民族の多数の者と同じく好奇心に富んだ広い精神をもっていて、その専門の研究だけに閉じこもっていずに、美術、社会問題、現代思想の各種の現われなど、無数のことに興味をもっていた。がそれでもなお彼の心を満たすに足りなかった。というのは、彼はあらゆることを面白く思ったが、どれにも熱中することができなかった。きわめて頭がよく、あまりに頭がよく、何物にもあまりにとらわれなくて、一方の手でこしらえ上げたものを他方の手でこわしがちだった。実際彼は著作や理論などを多くこしらえ上げていた。非常な勉強家だった。自分のしてることを別に有益だとは思わなかったが、習慣によってまた精神的摂生法によって、自分の痕跡《こんせき》を学界に気長に深く刻みつづけていた。いつも禍《わざわい》なことには富裕だった。そのため生存競争の興味をかつて味わったことがなかった。東方諸国における努力にも数年の後に飽いてしまって、それからはもうなんらの公職にもつかなかった。それでも自分独りの勉強以外に、時事問題、実際直接な社会改革、フランスにおける社会教育の改造、などに先見の明をもって関係していた。種々の意見を発表して思潮をこしらえていた。思想界に活気を与えながら、すぐにまたそれにも厭気《いやけ》がさしていた。議論によって多くの人を論争に巻き込み、もっとも痛烈なもっとも圧倒的な批評を加えて彼らを悲憤さしたことも、一度ならずあった。彼はことさらそんなことをしたのではなかった。それが生来の欲求だった。きわめて神経質で皮肉だったので、他の迷惑となるほどの明敏さで事物人物の滑稽《こっけい》な点を見抜き、それを容赦することが困難だった。いかにりっぱな主張も人物も、それをある角度から見たりある拡大を施して見たりすれば、かならずなんらかの滑稽な方面を現わすものであり、したがって、皮肉な彼にはそれを長く尊敬してることができなかった。それゆえ彼には友人ができよう訳はなかった。しかし彼は他人のためを計ってやるという善良な意志をもっていたし、実際それを行なっていた。けれどもあまりありがたいとは思われなかった。彼の世話を受けた人たちでさえ、彼の眼から滑稽に見てとられたことを、ひそかに許しがたく思っていた。彼は人を愛せんためにはあまりによく人を見ないほうがよかった。彼は人間ぎらいな
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