の言葉で答えた。
『われわれはもっとも高い真理のうちで、世のためになり得るものをしか明言してはいけない。他の真理はそれをわれわれのうちにしまって置くべきである。隠れたる太陽の柔らかな光のように、それはわれわれのあらゆる行為の上に照り渡るだろう。』
しかしそういう配慮は、それらのフランスの作家たちの心にほとんど触れなかった。彼らは自分の手にしてる弓が、「思想もしくは死[#「思想もしくは死」に傍点]」のいずれを放つか、あるいは両者をいっしょに放つかを、少しも問題としなかった。彼らは愛に欠けていた。自分がある観念をもってるときには、それを他人にも課そうとする。観念をもたないときには、他人にももたせまいとする。そして、そういうことができないのを見てとるときには、行動の興味を失ってしまう。フランスの優秀者らが、政治にあまり関係しないのは、それがおもな理由だった。彼らはおのおの、自分の信念のうちに、あるいは信念の欠乏のうちに、閉じこもってばかりいた。
そういう個人主義を撲滅して彼らの間に種々の集団を作るために、多くの試みがなされてきた。しかしそれらの群れの多くはすぐに、文学的な討論会や滑稽《こっけい》な暴徒などに堕してしまった。すぐれた者はたがいに滅ぼし合った。多くの弱い善良な意志を結合して導くために生まれてる、力と信念とに満ちた卓越せる人々も存在していた。しかし彼らは各自におのれの群れをもっていて、それを他人の群れと一つにすることを同意しなかった。かくていつも少数の小雑誌や集会や結社のみであった。そしてそれらはあらゆる精神上の徳操をそなえてはいたが、ただ自己脱却の徳のみはもたなかった。なぜなら、いずれも他にたいして自我を通そうとばかりしていたから。かくして、数も少なく幸運はさらに少ない善良な人々の集まりのパン屑《くず》を、それらはたがいに奪い合いながら、貧血し飢餓してしばしの生命をつないでいた。そしてついには倒れてふたたび起《た》てなかった。それも敵の鞭《むち》の下にではなく――(もっとも嘆くべきことには)――自分自身の鞭の下にであった。種々の職業――文学者、劇作家、詩人、散文家、教授、教員、新聞記者――は多くの小さな部族をこしらえていて、それがまたさらに小さな部族に分かたれ、そのおのおのは門戸を閉ざし合っていた。たがいに出入りを許すことなどはさらになかった。フランスにおいては、何事にも全員一致というものがなかった。もしあれば、それはごくまれな場合にだけであって、しかもそのときには、全員一致の性質が流行病的なものとなり、そしてたいていは、病的であるがゆえに誤ったものとなった。個人主義がフランス人の活動のあらゆる方面に君臨していた。学術的な仕事におけると同じく、商業においても個人主義は、大商人らが結合して主人側の協定を作ることを妨げていた。この個人主義は充実したあふれきったものではなくて、執拗《しつよう》な蟄居《ちっきょ》的なものだった。一人でいること、他人から負い目を受けないこと、他人に関係しないこと、他人に交じっておのれの劣等さを感ずるのを恐れること、自分の尊大な孤立の静安さを乱さないこと、そういうのが、局外的[#「局外的」に傍点]雑誌や局外的[#「局外的」に傍点]芝居や局外的[#「局外的」に傍点]集団を作ってる人々の、内心の考えだった。雑誌や芝居や集団の存在の理由は、多くはただ、他人といっしょにいたくないという願い、共通の行為や思想のうちに他人と結合することの不可能さ、または、党派的|敵愾《てきがい》心でないとすれば、もっともたがいに理解していい人々をもたがいに武装さしてる猜疑《さいぎ》心、などにすぎなかった。
たがいに尊敬し合ってる精神の人々が、たとえば雑誌イソップ[#「イソップ」に傍点]におけるオリヴィエやその仲間たちのように、一つの仕事に集まってるときでさえも、彼らはいつもたがいに警戒し合ってるがようだった。ドイツではだれももっていてかえって邪魔となりやすい開放的な朴訥《ぼくとつ》さを、彼らは少しももっていなかった。イソップ[#「イソップ」に傍点]の青年の群れのうちには、ことにクリストフの心をひく者が一人(シャール・ペギー)いた。その男に例外的な力があることを見てとったからである。それは一人の作家で、不撓《ふとう》な理論と執拗な意志とをそなえ、道徳的な観念に熱中し、頑固《がんこ》にその観念に奉仕し、そのためには全世界をも自分自身をも犠牲にするだけの覚悟をもっていた。その観念を擁護せんがために、ほとんど自分一人で一つの雑誌を設けて編集していた。純粋な勇壮な自由なフランスという観念を、ヨーロッパにまたフランス自身にいだかせようとみずから誓っていた。自分がフランス思想史中のもっとも勇敢なページの一つを書いてるのだということは、他日世界から認められると確信していた――そしてそれは彼の自惚《うぬぼ》れでもなかった。クリストフはもっとよく彼を知りたがり、彼と交際をしたがった。しかしその方法がなかった。オリヴィエと彼とは、しばしば用があったけれど、たがいに会うのはごくまれであって、それもただ用件のためばかりだった。彼らは心のうちを少しも語り合わなかった。抽象的な意見を少しばかりかわすのがようやくだった。と言うよりもむしろ――(なぜなら、正確に言えば、意見の交換をすることはなくて、各自に自分の考えを胸中にしまっていたから)――彼らはいっしょになって勝手に独白ばかりしていた。それでも彼らこそ、たがいの価値を知り合ってる戦友どもであった。
そういう控え目なやり方には、彼ら自身でも見分けがたい多くの理由が存していた。第一には、各精神間のいかんともできない差異をあまりにはっきりと見てとる、過度の批評癖であり、それらの差異をあまりに重要視する、過度の理知主義であった。生きんがために愛したがり満腔《まんこう》の愛を消費したがる力強い率直な同情心、それの欠けてることだった。つぎにはまたおそらく、仕事の疲労、あまりに困難な生活、思想の熱烈さ、などであった。そのために彼らは、晩になるともはや、親しい会談を楽しむだけの力がなかった。最後には、フランス人としては告白するのが恐ろしい、しかも心の底にしばしば唸《うな》っている、同民族の者でない[#「同民族の者でない」に傍点]、という恐ろしい感情であった。われわれは異なった民族の者であり、異なった時代にフランスの土地に居を定めた者であって、一つに結合しながら、共通の思想をもつこと少なく、しかも共同の利益のためにそのことをあまり考えてはいけない、という恐ろしい感情であった。そしてまた何よりも、自由にたいする熱狂的な危険な情熱であった。人はそれを一度味わうと、何物をも犠牲にして顧みなくなる。そしてその自由な孤独境は、多年の困難によって購《あがな》われたものだけに、いっそう貴重なものとなっている。優秀な人々は、凡人らから奉仕されるのをのがれんがために、その中に逃げ込んでいる。それは実に、宗教や政治上の集団の重圧、フランスにおいて個人を押しつぶしてる巨大な重み、すなわち、家庭、世論、国家、秘密結社、党派、徒党、流派、などの暴虐にたいする反動である。たとえば、脱獄せんがためには十重二十重の壁を飛び越えなければならない囚人を、想像してみるがよい。その囚人が、首の骨も折らず、最後までやりとおすとするならば、彼はきわめて強者だと言わなければならない。それは自由な意志にたいする手荒い鍛錬である。しかし一度それを通り越した人々は、そのきびしい気質を、独立の性癖を、他人の魂と融《と》け合うことの不可能性を、生涯失うものではない。
傲慢《ごうまん》による孤立のほかになお、断念による孤立があった。フランスにおいてはいかに多くの善良な人々が、その温情と矜持《きょうじ》と愛情とのあまり、人生から隠退するにいたってることだろう。あるいは良きあるいは悪き多くの理由が、彼らの活動を妨げていた。ある人々にあっては、それは服従や臆病《おくびょう》や習慣の力などであった。またある人々にあっては、それは、世間体、人に笑われる恐れ、人の眼をひき人に批判され、公平な行為を私心ある動機に帰せられる恐れ、などであった。ある者は政治的社会的な戦いに加わることを欲せず、ある者は博愛事業から顔をそむけていた。なぜなら彼らは、良心と良識とをもたずにそういうことに従事してる者があまりに多いのを見るからであり、自分もそれらの偽瞞《ぎまん》者や馬鹿者どもと同視されはすまいかを恐れるからであった。厭気《いやけ》、疲労、行動や苦痛や醜悪や愚劣や危険や責任にたいする恐れ、また、現今多くのフランス人の誠意を滅ぼしてる、なんの役にたつものか[#「なんの役にたつものか」に傍点]という恐ろしい観念、などがほとんどすべての者のうちにあった。彼らはあまりに知的――(広い羽ばたきをもたない知力の者)――であり、賛成と不賛成とのあらゆる理由を見てとっている。力に乏しく、生気に乏しい。人はきわめてよく生きてるときには、なにゆえに生きてるかを問わないものである。生きるがために生きてるのである――生きることは素敵なことであるがゆえに!
終わりに、同情すべき普通のあらゆる性質がいっしょになって、すぐれたる人々のうちに宿っていた。穏和な哲学、欲望の節度、家庭や土地や道徳的習慣などへのやさしい執着、慎み、我《が》を通し他人を邪魔することの恐れ、感情の貞節さ、常住不断の控え目、などがあった。すべてそれらの愛すべき美《うる》わしい特質は、ある場合においては、清明な心境に、勇気に、内心の喜悦に、よく調和することができていた。しかしそれらはまた、フランス人の貧血に、活力の漸減《ぜんげん》に、関係がないではなかった。
クリストフとオリヴィエとが住んでる家の下のほう、四方壁に取り巻かれた底にある、優雅な庭は、かかるかわいいフランスの象徴であった。それは外部の世界に戸を閉ざしてる緑の一隅《いちぐう》だった。ただときどき、外部の大きな風が、渦《うず》巻きながら吹きおろしてきて、夢想してる若い娘に遠い畑地と広い土地との息吹《いぶ》きをもたらしてくるのだった。
今やクリストフは、フランスの隠れたる源泉を瞥見《べっけん》し始めたので、フランスが下劣な者どものために圧迫されるままになってるのを、憤慨せずにはいられなかった。その黙々たる優秀者らが潜み込んでる薄明の境は、彼には息苦しかった。堅忍主義は、もう歯牙《しが》を失ってる人々にはよいことである。しかし彼は、戸外の空気を、大なる公衆を、栄光の太陽を、幾多の魂の愛を、おのが愛する者をすべて抱きしめることを、敵を粉砕しつくすことを、戦いそして征服することを、必要としているのであった。
「君にはそれができる。」とオリヴィエは言った。「君は強い。君は征服するようにできている。それは君の長所から来てるとともに――(失礼だが)――欠点からも来ている。君は仕合わせにもあまりに貴族的な民衆に属してはいない。活動を君は厭《いや》がりはしない。君は必要によっては、政治家となることさえできるだろう……。それにまた、君は作曲というこの上もない仕合わせな能力をもっている。人にはわからないから、君はなんでも言うことができる。君の音楽のうちにある世人にたいする軽蔑《けいべつ》や、世人が否定してるものにたいする信仰や、世人が滅ぼさんとつとめてるものにたいする絶えざる賛歌などを、もし世人が知り得たら、世人はけっして君を許してはおかないだろう。君は彼らから邪魔されつきまとわれいらだたせられて、彼らと戦うことに最善の力を費やしてしまうだろう。彼らに打ち克《か》つときには息が切れて、もう自分の仕事を完成することができないだろう。君の生命はそこに終わってしまうだろう。偉人が勝利を得るのは、世人から誤解されるおかげによってである。人は偉人をその真相と反対の点から賞賛するのだ。」
「ふふん!」とクリストフは空うそぶいた。「君たちは自国の大人物どもの怯懦《きょうだ》を知らないのだ。僕は初め君一人が知
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