た――ジャンナン夫人にとっては仕合わせというべきである――(たとい、みずから死ぬことを見て取りながら、またかかる困窮のうちに子供たちだけを置きざりにしながら、彼女がその臨終のわずかな瞬間にどういうことを考えたかは、だれにもわかりはしないけれど……)。
その災厄《さいやく》の恐ろしさを忍ぶにも二人きりだったし、泣くにも二人きりだったし、死のつぎに来る堪えがたい仕事に気を配るにも二人きりだった。親切な門番の女が、彼らを少し助けてくれた。ジャンナン夫人が稽古《けいこ》を授けていた修道院からは、冷やかな同情の数語がよこされた。
初めのうちは、名状しがたい絶望のみだった。二人を救ってくれた唯一のものは、過度の絶望そのものだった。オリヴィエはほんとうの痙攣《けいれん》状態に陥った。そのためアントアネットは自分の苦しみから気がそらされた。彼女はもう弟のことしか考えなかった。その深い愛情はオリヴィエの心に沁《し》み通り、彼が苦悶《くもん》のあまり危険な逆上に陥ることを防いだ。母親の遺骸《いがい》が休らってる寝台のそばで、小さなランプの光の下で、二人はたがいに抱き合っていた。死ぬよりほかはない、二
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