もに聞かれはすまいかという懸念《けねん》から、また自分自身の心痛のあまりに、声をひそめて言った。
「あなた、どうなすったんです? どうかなすったのでしょう……。何か隠していらっしゃるのでしょう……。災難でも起こりましたか。苦しいことでもおありですか。」
しかし彼は、そのときもなお彼女を避けて、いらだたしげに肩をそびやかし、きつい調子で言った。
「いや、そんなことはないんだ。構わないでおいてくれ。」
彼女はむっとして遠のいた。どんなことが夫に起ころうともう気をもんでやるものかと、盲目な憤りのうちにみずから去った。
ジャンナン氏は庭へ降りていった。アントアネットは悪戯《いたずら》をしつづけて、弟をいじめては駆けさしていた。しかし弟はもう遊びたくないと突然言い出した。そして父から数歩離れた所で、覧台《テラース》の墻壁《しょうへき》によりかかった。アントアネットはなお彼をからかおうとした。しかし彼は口をとがらしながらそれを押しのけた。すると彼女は何か悪口を言った。そしてもう面白いことがなくなったので、家にはいってピアノの前にすわった。
ジャンナン氏とオリヴィエと二人きりになった。
「坊
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