》にかけ、たちまちのうちにすっかり失って、またもどって来た。
 その不意の旅行は、小さな町じゅうを混乱さした。彼は逃亡したのだという噂《うわさ》まであった。ジャンナン夫人は人々の興奮した不安に対向するのが容易でなかった。も少し待ってくれるようにと懇願し、夫はきっと帰ってくるに違いないと誓った。人々はそれを信じたがりながらも、ほとんど信ずることができなかった。それで彼が帰って来たのを知ると、皆ほっと胸をなでおろした。多くの者は、無駄《むだ》な心配をしたのだと思いがちだった。ジャンナン家の人たちはごく機敏だから、たとい蹉跌《さてつ》をしたにせよ、それを切りぬけてゆけるに違いないと、人々は思いがちだった。銀行家の態度もそういう印象を強めた。もはや最後の手段きり残っていないことが明らかな今となっては、彼は疲れてるようであったがしかしごく冷静だった。汽車から降りて駅前の並木道で、彼は数人の友人に出会いながら、数週間雨を得ないでいる田舎《いなか》のことや、すてきな葡萄《ぶどう》の出来ばえのことや、その日の夕刊にのってる内閣|瓦解《がかい》のことなどを、平然と話していた。
 家に帰っても彼は、夫人の
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