守[#「バグダッドの太守」に傍点]の序曲、若きアンリーの狩[#「若きアンリーの狩」に傍点]の序曲、モーツァルトの二、三の奏鳴曲《ソナタ》など、いつも同じものばかりで、またいつも音が間違っていた。それらの曲は、客を招待する夜会にはつきものだった。食事のあとにはかならず、技能ある人々はその腕前を見せてくれと願われた。彼らは最初顔を赤らめて断わるが、ついには一同の懇請にうち負けて、自慢の曲をそらでひいた。すると皆は、その音楽家の記憶力と「玉をころがすような」演奏とを賞賛した。
 ほとんどどの夜会にもくり返されるその儀式は、二人の子供にとっては、晩餐《ばんさん》の喜びを殺《そ》いでしまうものだった。バザンのシナ旅行[#「シナ旅行」に傍点]やウェーバーの小曲などを、四手でひかなければならないときにはまだ、たがいに頼り合ってさほど恐れはしなかった。しかし独奏しなければならないときには、非常な苦痛だった。いつものとおり、アントアネットの方がいくらか勇気があった。厭《いや》で厭でたまらなくはあったけれども、のがれる道がないと知っていたから、彼女は思い切って、かわいい決心の様子でピアノにつき、そのロンド
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