ついてる彼の横顔を見て、その気荒な一徹な表情を見てとった。彼ははなはだ不似合いな古ぼけた服をつけていた。アントアネットは口をつぐみ冷たくなって、その悲しい音楽会の騒動に列した。クリストフは聴衆の露《あら》わな悪意にぶつかった。聴衆は当時ドイツの芸術家に好意をもっていなかったし、クリストフの音楽に悩まされた(第五巻広場の市参照)。あまり長すぎると思われた交響曲《シンフォニー》のあとに、ピアノでなお数曲演奏するためにふたたび出て来たとき、彼は愚弄《ぐろう》的な喝采《かっさい》で迎えられた。ふたたび彼を見るのを聴衆があまり喜んでいないことは、疑いの余地がなかった。それでも彼は構わずに、聴衆のあきらめきった倦怠《けんたい》の中で演奏を始めた。後ろの方の桟敷《さじき》にいた二人の聴衆が声高に悪口を言い出して、それが広がってゆき、全部の人々がうれしがった。するとクリストフはひきやめた。悪童めいた無鉄砲さで、マルブルーの出征[#「マルブルーの出征」に傍点]を一本の指でひいた。そしてピアノから立ち上がり、聴衆に向かって言った。
「諸君にはこれが適当です!」
 聴衆はその音楽家の意味をとっさに解しかねた
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