の仕事にうち込み、これが世話のおしまいではないかという予感がしていた。
 二人はいっしょに過ごす終わりの数日間、もうたがいにそばを離れなかった。少しの時間も無駄にすまいと懸念していた。最後の晩は、暖炉のほとりにおそくまでとどまっていた。アントアネットは家にただ一つの肱掛椅子《ひじかけいす》にすわり、オリヴィエはその足先の腰掛にすわって、いつものように大きな駄々《だだ》っ児《こ》として愛撫《あいぶ》されていた。彼はこれから始まる新生活にたいして、不安を覚えていた――がまた好奇心も動いていた。アントアネットはこれが自分たちのなつかしい親しい生活の終わりではないかと考え、自分はこれからどうなるだろうかと空恐ろしく想像していた。その思いをさらにつらくなさせるためかのように、彼はその晩これまでになくごくやさしくて、出発のときに初めて自分のいちばんよい点や美しい点を示そうとする人々に見受けるような、無邪気な甘え方までしていた。彼はピアノについて長くひいてやった、二人がもっとも好きなモーツァルトやグルックの曲を――二人の過ぎ去った生活が多く結び合わされてる、やさしい幸福と清い悲しみとの幻影の曲を。

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