が明らかにわかった。管弦楽の第一休止の時に、彼は座主に会いに行った。座主はこの音楽会の物質的方面いっさいの責任を帯びていて、シルヴァン・コーンとともに試演に臨んでいた。彼はクリストフがやって来るのを見て、顔を輝かせながら言った。
「どうです、御満足ですか。」
「ええ、」とクリストフは言った、「うまくゆくだろうと思います。がただ一ついけないことがあるんです。それはあの女歌手です。代えなけりゃいけますまい。穏やかに言ってください。あなたは……馴《な》れておいででしょうから。他の歌手を一人見つけてくださるくらいはたやすいことでしょう。」
 座主は呆気《あっけ》にとられた様子をした。クリストフが真面目《まじめ》に言ってるかどうかをうかがうかのように、彼の顔をながめた。そして言った。
「だが、そんなことはできませんよ。」
「なぜできないんです?」とクリストフは尋ねた。
 座主はシルヴァン・コーンとずるい目配せをし合って、そして言った。
「しかし、あの女はなかなかいい腕前ですよ。」
「ちっとも腕前はありません。」とクリストフは言った。
「え! あんないい声なのに!」
「ちっともよかありません。」

前へ 次へ
全387ページ中287ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング