る山嶽《さんがく》、歓喜してる空、人間の獅子《しし》、それらにたいする賛歌を彼は飲み込んだ。
彼がことに愛していた聖書中の面影の一つは、青年期のダヴィデであった。ヴェロキオやミケランジェロがその崇高な作品中に現わしている、フロレンスの悪童みたいな皮肉な微笑やまたは悲壮な緊張を、彼はダヴィデに想像しなかった。彼はそれらの作品をまだ知らなかったのである。彼が想像したダヴィデは、勇武がその中に眠ってる童貞の心をもった、詩的な牧人であり、南方のジーグフリートであり、より高雅な民族の者であり、身体と思想とがよりよく調和した者であった。――なぜなら、彼はラテン精神にいくら反抗しても無駄《むだ》であった。ラテン精神は彼のうちに沁《し》み込み始めていた。芸術に影響してくるものは、ただ芸術のみではない、思想のみではない。すべて周囲のもの――人や事物、身振りや動作、線や光である。パリーの雰囲気《ふんいき》はきわめて強烈である。それは最も反発的な魂をも鋳直す。そしてことにゲルマン魂は、反抗することができにくい。ゲルマン魂は国民的|倨傲《きょごう》のうちにくるまっていながら、ヨーロッパのあらゆる魂のうちで、
前へ
次へ
全387ページ中282ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング