一の平面に置いていた。シェイクスピヤ気取りの者もいた。モリエール気取りの者もいた。あるいはイエス・キリスト気取りの者もいた。彼らはイプセンを子デューマに比較したり、トルストイをジョルジュ・サンドに比較したりした。そしてそれはもちろん、フランスがすべてを発明したのだということを示さんためにであった。普通彼らはどの外国語も知らなかった。しかしそれに困らされはしなかった。彼らが真実のことを言ってるかどうかは、その聴《き》き手にはどうでもいいことだった。大事なことは、面白くてできるだけ国民的自尊心におもねるような事柄を、口にするということだった。外国人は盛んにののしられていた! その時々の偶像を除けば。偶像と言えばグリーグ、ワグナー、ニーチェ、ゴーリキー、ダヌンチオ、だれであろうと、とにかく流行にとってその一つがいつも必要だった。ただし長つづきはしなかった。今日の偶像はいつか塵《ちり》箱に入れられるの運命にあった。
 当時にあっては、偶像はベートーヴェンだった。ベートーヴェンが――いずくんぞ知らん――流行児だったのだ。少なくとも、上流人士と文学者との間ではそうだった。音楽家らの方は、フランスに
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