人化された民主主義の芸術観を支配していた。作者らのあとについて、批評家らも従順に、芸術品の本務は人を喜ばすことだと、宣言していた。成功が掟《おきて》であった。成功がつづく間は平伏するのほかはなかった。かくて批評家らは、快楽の相場の変動を予知しようと、作品にたいする公衆の意見をその眼色で読み取ろうと、つとめていた。またおかしなことには、公衆の方でも、作品をどう考えていいかを、批評家の眼色で読み取ろうとつとめていた。そして両方から眼を見合わしていた。しかもたがいの眼の中には、自分自身の不決断が見て取られるばかりだった。
けれども、大胆な批評が最も必要な場合であった。無政府的共和国にあっては、万能である流行が、保守的な国におけるように退転することは、めったにあるものではない。流行は常に前進してゆく。そして精神的|似而非《えせ》自由が、たえずせり上がってゆく。それにはほとんどだれも抵抗しようとしない。群集は本音を吐くことができない。心の底では不快を感じているが、しかしだれもあえて、自分がひそかに感じてることを言い得ない。ここでもし批評家が強かったならば、あえて強くあり得たならば、いかなる権威
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