ことを、見て取ったのである。しかしそれは、彼の誤解を一掃する役にはたたなかった。彼は観客を通じて芝居を見ていた。そして、古典者流のある変形した特質を、近代フランス人のうちに認めた。あまりに明徹な眼が、婀娜《あだ》な老婦人のしぼんだ顔のうちに、その娘の純粋な顔だちを見て取るがようなものだった。そういう観察は、恋の幻を生ぜしむるにはあまり適しないものである……。たがいに顔を見馴《みな》れてる一家族の人々のように、フランス人はその類似さに気づかないでいた。しかしクリストフはそれにびっくりして、それを誇張していた。もはやその類似をしか眼に止めなかった。現代の芸術は、偉大な祖先の漫画を示しているように思われた。そして偉大な祖先自身も、彼の眼には漫画として映じた。崇高な荒唐無稽《こうとうむけい》な心境を至るところにもち出そうと熱中してる、末流の詩的修辞家らと、本物のコルネイユとを、彼はもはや区別しなかった。またラシーヌも気障《きざ》な態度で自分の心をのぞいてるパリーの群小心理家らの末流と、混同して考えられた。
それらの老書生らは、少しも古典芸術の外に踏み出さなかった。批評家らは際限もなくタルチュ
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