うやで、自分を賞賛してくれたりする時には、そういう友人をも許さなかった。彼らを満足させることは至難の業《わざ》だった。彼らの各人はついに特許の批評家を一人任命してしまった。その批評家が偶像の足下で細心に監視の眼を見張っていた。偶像は少しでも手を触れることが許されなかった。――彼らは仲間うちだけから理解されていたが、それでもよい理解を受けてるというわけにいかなかった。味方の意見や自分自身の意見によって、おもねられゆがめられて、自分の芸術および才能についての自覚をあやまっていた。愛すべき空想家も、みずから改革者だと信じていた。十二韻脚派の芸術家らも、ワグナーの敵をもって自任していた。ほとんどすべての者が、価値せり上げ競争の犠牲となっていた。前日飛び上がったのよりもさらに高く、ことに競争者が飛び上がったのよりもさらに高く、毎日飛び上がらねばならなかった。そういう高飛びの競争には、いつも成功するというわけにいかなかった。そしてそれも、ある職業人にとってしか興味がなかった。彼らは聴衆を念頭におかなかった。聴衆[#「聴衆」は底本では「聴集」]も彼らを念頭におかなかった。彼らの芸術は、公衆のない芸術
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