にのみ加担する強者のりっぱな理論をもって言った。「では助けてやらなくちゃいけまい。」

 クリストフの方では、ユーディット・マンハイムにたいする賛美の念をもち帰った。けれども彼は、ユーディットがみずから思ってるほど心を奪われてはいなかった。二人とも――彼女はその慧敏《けいびん》さによって、彼は知能の代わりとなってる本能によって――等しく相手を見誤っていた。クリストフは、彼女の顔貌《がんぼう》の謎《なぞ》と頭脳生活の強烈さとに蠱惑《こわく》されていた。しかし彼女を愛してはいなかった。彼の眼と理知とはとらえられていたが、彼の心はとらえられていなかった。――なぜか?――それを説明するのはかなり困難に思える。彼女のうちに曖昧《あいまい》な気懸《きがか》りな何かを、認めたからであったろうか? しかしそれは他の場合であったら、彼にとっては、ますます愛するようになるべき一つの理由であるはずだった。恋愛は、苦しい破目に陥ってゆくことを感ずる時、ますます強烈になってゆくものである。――クリストフがユーディットを愛しなかったとしても、それは二人のどちらの罪でもなかった。愛しない真の理由は、二人のいずれにとってもかなり面白からぬことではあるが、彼が最近の恋愛からまだ十分遠ざかっていなかったということである。経験が彼を聡明《そうめい》にならしたのではなかった。しかし彼はアーダを非常に愛し、その情熱のうちに多くの信念や力や幻を浪費したので、今は新しい情熱にたいしてそれらが十分残っていなかった。他の炎が燃えたつ前に、彼は心の中に他の薪を用意しなければいけなかった。まずそれまでは、偶然に燃え出す一時の火、火災の余炎があるばかりで、それはただ輝いた暫時《ざんじ》の光を発しては、そのまま燃料がなくて消えてゆくのだった。六か月も後だったらおそらく、彼は盲目的にユーディットを愛したろう。が今では、彼は彼女のうちに友だち以上の何物をも認めなかった――確かにやや不安な友だちではあったが。――しかし彼はその不安を払いのけようとつとめた。その不安は彼にアーダのことを思い起こさした。それは魅力のない思い出だった。ユーディットに彼がひきつけられたのは、彼女が他の女と異なったものをもってるからであって、他の女と共通なものをもってるからではなかった。彼女は彼が出会った最初の理知的な女であった。彼女は頭から足先まで理知的であった。彼女の容色さえも――その身振り、動作、顔立ち、唇《くちびる》の皺《しわ》、眼、手、上品な痩《や》せ方、――皆理知の反映であった。身体は理知によって形付けられていた。理知がなかったら、彼女は醜いと見えるかもしれなかった。そしてこの理知が、クリストフの心を歓《よろこ》ばせた。彼は彼女を実際以上に広濶《こうかつ》自由であると思った。彼女のうちに案外なものがあるのを知らなかった。彼は彼女に心をうち明け、自分の考えを彼女に分かちたいという、熱烈な欲求を感じた。彼はまだかつて、自分のことを本気に聞いてくれる者を見出さなかった。そして今、一人の女友だちに出会うのはなんたる喜びだったろう! 姉妹がないことは、幼年時代の遺憾の一つだった。姉妹が一人あったら、兄弟よりもずっとよく自分を理解してくれるだろうと、彼には思われた。ユーディットに会った後彼は、親愛なる友情にたいするそのむなしい希望がよみがえってくるのを感じた。彼は恋愛のことは考えなかった。恋していなかったので、恋愛は友情に比べるとつまらないもののように思われた。
 ユーディットは間もなく、右の微妙な点を感じた。そしてそれに気を悪くした。彼女はクリストフを恋しはしなかったし、また、町の富裕で上流に位する青年らを幾人も夢中にならしていたので、クリストフが自分を恋してると知っても、おそらく大なる満足は感じなかったであろう。しかし、彼が自分を恋していないと知っては、多少の憤懣《ふんまん》を禁じ得なかった。彼に理性的な影響しか与え得ないのを見るのは、やや屈辱的なことだった。(没理性的な影響は、女の魂にとっては特別な価値をもってるものである。)しかも彼女は、その理性的な影響さえもほんとうに与えてるのではなかった。クリストフは自分の頭でそれを作り出してるのみだった。ユーディットは専横な精神をもっていた。知り合いの青年らのかなり柔軟な思想を、随意に捏《こ》ねかえすことに慣れていた。そしてその青年らを凡庸《ぼんよう》だと判断していたので、彼らを統御するのにあまり多くの喜びを見出さなかった。ところがクリストフに対すると、統御の困難が多いだけに、興味もいっそう多かった。彼の抱負には無関心だったが、しかしその新しい思想を、その乱雑な力を指導して、その価値を発揮させる――もちろん自己流にであって、彼女が別段理解しようとも思わないクリストフ流にではなかったが――価値を発揮させることは、彼女には愉快なことだったに違いない。が彼女はただちに、それは争闘なしにはできないということを見て取った。彼女はクリストフの中にあるあらゆる種類の既成定見を不条理で幼稚だと思われるあらゆる観念を、一々調べ上げた。それらのものは雑草だった。彼女はそれらを引き抜こうと努めた。しかし一つも引き抜けなかった。彼女は自尊心の最も小さな満足をも得ることができなかった。クリストフには手のつけようがなかった。彼は彼女に心を奪われていなかったので、彼女のために自分の思想をまげる理由を少しももたなかった。
 彼女は執拗《しつよう》になっていった。そしてしばらくの間、彼を征服しようと試みた。クリストフは当時、精神の明晰《めいせき》さをもってはいたけれど、も少しでふたたび虜《とりこ》になるところだった。人はおのれの高慢心と欲望とに媚《こ》びるものから欺かれやすい。そして芸術家は他の人よりもいっそう多くの想像力をもっているから、さらに二倍も欺かれやすい。クリストフを危険な親昵《しんじつ》に引き込むのは、ユーディットのやり方一つだった。その親昵は彼の精神をも一度うちくじき、おそらくは前回よりもさらに完全にうちくじいたかもしれなかった。しかし例によって彼女はすぐに飽いてきた。彼女はその征服を労に価しないものだと思った。クリストフはすでに彼女を退屈がらせていた。彼女はもはや彼を理解していなかった。
 彼女はもはや、ある限界を越えると彼を理解していなかった。その限界以内では、すべてを理解していた。それ以上を理解するには、彼女のりっぱな理知だけではもう足りなかった。心が必要であったろう。もしくは、心がないならば、一時その幻影を与えるところのものが、愛が、必要であったろう。彼女はよく、人物や事物にたいするクリストフの批評を理解した。彼女はそれを面白く思い、かなりほんとうだと思った。自分でもそういう意見をいだかないでもなかった。しかし彼女の理解しなかったことは、それらの思想が彼の実生活上にある影響を有し得る、しかもその適用が危険で邪魔である時にもそうである、ということだった。クリストフが万人にたいしまた万物にたいして取っていた反抗的な態度は、なんらの効果にも達しないものであった。世界を改造するつもりだとは、いかに彼でも想像してはいなかったろう。……では?……いたずらに頭を壁にぶっつけてるばかりではなかったか。知力のすぐれた者は、他人を批判し、ひそかに他人を嘲笑《あざわら》い、多少他人を軽蔑《けいべつ》しはする。しかし彼も、他人と同様なことを行なって、ただ少しよく行なってるのみである。そういうのが、おのれの他人の上に立たせる唯一の方法である。思想は一個の世界であり、行為は別個の世界である。おのれを思想の犠牲となる必要がどこにあろう? 真正に考える、それはむろんのことだ。しかし真正に口をきく、それがなんの役にたとう? 人間はかなり愚かなもので、真実を堪えることができないからといって、彼らに真実を強《し》いる必要があろうか。彼らの弱点を容認し、それに折れ従うようなふうを装《よそお》い、人を軽蔑する自分の心の中でわが身の自由を感ずること、そこにこそひそかな享楽がないであろうか。それは怜悧《れいり》な奴隷《どれい》の享楽だと、言わば言うがいい。しかし世の中では結局奴隷となるのほかはない以上、同じ奴隷となるならば、自分の意志で奴隷となって、滑稽《こっけい》無益な争闘を避けた方がよい。奴隷のうちで最もいけないのは、おのれの思想の奴隷となって、それにすべてをささげることである。自己を妄信《もうしん》してはいけない。――彼女は、クリストフがどうもそう決心しているらしく思われるとおりに実際においても、ドイツ芸術とドイツ精神との偏見にたいして一徹な攻撃的の道を固執するならば、彼はすべての人を敵に回し、保護者をも敵に回すようになるだろうということを、明らかに見て取っていた。彼は必ずや敗亡に終わるに違いなかった。何故に彼が自分自身にたいして奮激し、好んで身を破滅させるような真似《まね》をするかを、彼女は了解できなかった。
 彼を理解せんがためには、成功は彼の目的ではなく、彼の目的はその信念であるということをもまた、彼女は理解しなければならなかったろう。彼は芸術を信じ、おのれ[#「おのれ」に傍点]の芸術を信じ、おのれ自身を信じ、しかも、あらゆる利害問題のみならずおのれの生命よりもさらにすぐれた現実に対するように、それを信じていた。彼が彼女の意見に多少いらだって、率直に語気を強めながら右のことを言い出す時、彼女はまず肩をそびやかした。彼女は彼の言葉を真面目《まじめ》に取らなかった。そしてそこに、兄の口から聞き慣れてるのと同じような大言壮語があると思った。彼女の兄は時々、途方もない荘厳な決心を言明しながら、それを実行しないようによく用心していたのである。ところが次に、クリストフがほんとうにそれらの言葉を妄信《もうしん》していることを見て取ると、彼女は彼を狂者だと判断して、もはや、彼に興味を覚えなかった。
 それ以来彼女はもはや、彼によく思われるように見せかけようとは努めなかった。ありのままの自分をさらけ出した。そして彼女は、最初の様子にも似ず、またおそらく彼女が自分で思ってるよりも、ずっとドイツ的であり、しかも平凡なドイツ女であった。――イスラエル民族に非難するのに、彼らがいかなる国民にも属さないで、種々の民衆のうちに居を定めても少しもその影響を被《こうむ》らず、特殊な同一性質を有する一民衆を、ヨーロッパにまたがって形成してるということをもってするのは、まさしく不当である。実際、通過する国々の痕跡《こんせき》を、イスラエル民族ほど容易に受けやすい民族は他にない。フランスのイスラエル人とドイツのイスラエル人との間には、多くの共通な性格がありはするけれども、なおいっそう多くの異なった性格がある。それは彼らの新しい祖国に起因するのである。彼らは驚くほど速やかに、新しい祖国の精神的習慣を、実を言えば精神よりも多くその習慣を、取り入れてしまう。ところが習慣というものは、あらゆる人間にあっては第二の性質であるが、大多数の人間にあっては唯一無二の性質となるから、その結果、一つの国に土着せる公民の多数が、深い正当な国民的精神をみずからは少しももたないでいて、イスラエル人にそれが欠けていると非難するのは、きわめて不都合なことと言わなければならない。
 女は常に、外的影響に、より敏感であり、生活条件に順応しそれに従って変化するのが、より迅速《じんそく》ではあるが――イスラエルの女は、全ヨーロッパを通じて、住んでる国土の肉体的および精神的の風潮を、しばしば大袈裟《おおげさ》に採用するが――それでもなお、民族固有の面影を、その濁った重々しい執拗《しつよう》な風味を、失うものではない。クリストフはそれに驚かされた。彼はマンハイム家で、ユーディットの伯母《おば》たちや従姉妹《いとこ》たちや友だちらに出会った。彼女らのうちのある顔は、鼻に近い鋭い眼や、口に近い鼻や、きつい顔立ちや、褐《かっ》色の厚い皮膚の下の赤い血などをもってして、いかにもドイツ離
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