炉の上には、ハスレルの胸像が一つ厳然と控えていた。円卓の上の一つの盤の中には、警句や賛辞が書き入れてある、女歌手や女崇拝者や友人らの写真が、雑然と並んでいた。机の上は驚くほど乱雑をきわめていた。ピアノは開いたままだった。棚の上には埃《ほこり》がつもっていた。半ば吸いさしの葉巻が隅々にころがっていた……。
 クリストフは隣室に、ぶつぶつ言ってる不機嫌《ふきげん》な声を聞いた。小間使の強い言葉がそれに答え返していた。ハスレルがあまり出て行きたくない様子を示してることは、明らかだった。また小間使がぜひともハスレルに出て行かせようとしてることも、明らかだった。彼女は少しの遠慮もなく、非常に馴《な》れ馴れしい答え方をしていた。その鋭い声は壁を通して聞こえてきた。クリストフは、主人に注意してる彼女の言葉を聞くと、落ち着けなかった。しかし主人は、少しも気を悪くしていなかった。否かえって、そういう失礼さを面白がってるかのようだった。そしてなおぶつぶつ不平を言いつづけながら、小間使をからかい、彼女を焦《じ》らして面白がっていた。ついにクリストフは、扉《とびら》の開く音を耳にし、たえず不平を言いまたからか
前へ 次へ
全527ページ中346ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング