ては、ワグナーは純アリアン的な典型であり、ドイツ民族は、ラテンのセム精神ことにフランスのセム精神の腐敗的影響から、少しも侵されることのない避難所であった。不純なゴール精神の決定的な敗滅を、彼は宣言していた。それでもやはり、あたかも永遠の敵の脅威を常に感じてるかのように、毎日激しい戦いをつづけていた。彼はフランスにただ一人の偉人をしか認めなかった。それはゴビノー伯爵であった。クリングは小さな老人で、きわめて小柄で、きわめてていねいで、処女のようにすぐ顔を赤らめた。――ワグナー協会のも一人の柱石は、エーリッヒ・ラウベルといって、四十歳まである化学工場の支配人をしてた男だった。その後彼はすべてをうち捨てて、管絃楽長になってしまった。なり得たのは意志の力にもよるし、また富裕だからでもあった。彼はバイロイトにたいする狂信者だった。ミュンヘンからバイロイトまで巡礼の草鞋《わらじ》をはいて徒歩で行ったこともあるそうである。おかしなことだがこの男は、非常に読書をし、非常に旅をし、種々の職業をやり、そして至る所で精力的な人物だということを示していたのに、音楽上においては、まったくパニュルジュの羊となって
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