りとを吐き出した。神経の発作、涙の洪水、憤激した罵詈《ばり》、クリストフにたいする呪詛《じゅそ》……。閉《し》め切った扉《とびら》越しに、激怒の叫びが聞こえていた。その室にはいることのできた友人らは、そこから出て来ると、クリストフが無頼漢のような振舞いをしたのだとふれ歩いた。その話はすぐ聴衆席へ伝わった。それで、クリストフが最後の楽曲のため指揮台に上がった時、聴衆はどよめいた。しかしその楽曲は彼のではなかった。オックスの祝典行進曲だった。その平板な音楽に安易を覚えた聴衆は、大胆に口笛を鳴らすほどのことをしないでも、クリストフにたいする非難を示すべき最も簡単な方法を取った。彼らは大|袈裟《げさ》にオックスの作を喝采し、二、三度作者を呼び出した。オックスはそのたびにかならず姿を現わした。そして、それがこの音楽会の終わりだった。
読者のよく推察するとおり、大公爵や宮廷の人々――饒舌《じょうぜつ》でしかも退屈してるこの田舎《いなか》の小都会の人々――は、右の出来事の些細《ささい》な点をも聞きもらさなかった。女歌手の味方である諸新聞は、事件には言及しなかったが、筆をそろえて彼女の技倆《ぎりょう》を称揚し、彼女が歌った歌曲《リード》は、ただ報道として列挙したにすぎなかった。クリストフの他の作品については、どの新聞も大差なく、わずかに数行の批評のみだった。「……対位法の知識。錯雑せる手法。霊感《インスピレーション》の欠乏。旋律《メロディー》の皆無。心の作にあらずして頭の作。誠実の不足。独創的たらんとする意図……。」その次に、すでに地下に埋もれてる楽匠、モーツァル、ベートーヴェン、レーヴェ、シューベルト、ブラームスなど、「みずから希《こいねが》わずして独創的なる人々、」そういう人々の独創について、真の独創について、一項が添えてあった。――それから次に、自然の順序として、コンラーディン・クロイツェルのグラナダ[#「グラナダ」に傍点]の露営[#「露営」に傍点]が大公国劇場で新しく再演されることに、説き及ぼしてあった。「書きおろされたばかりのものかと思われるほど清新華麗なその美妙な音楽」のことが、長々と報道されていた。
これを要するに、クリストフの作品は、好意を有する批評家たちからは、全然理解されず――少しも彼を好まない批評家たちからは、陰険な敵意を受け――終わりに、味方の批評家にも
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