価値を絶する大発見を一人胸に秘めたく思わない者のように、ドイツの芸術にたいする自分の考えをだれ構わずにもらしては満足していた。そして相手の不満を招いてるとは想像だもしなかった。定評ある作品の愚劣さを認めると、もうそのことでいっぱいになって、出会う人ごとに、専門家と素人《しろうと》とを問わず、だれにでも急いでそれを言って聞かした。顔を輝かしながら最も暴慢な批評を述べたてた。最初人々は本気に受け取らなかった。彼の気まぐれを一笑に付した。しかしやがて、彼が厭《いや》に執拗《しつよう》にあまりしばしばくり返すのを気づいた。彼がそれらの僻論《へきろん》を信じていることは明らかになった。それにたいしては前ほどは笑えなかった。彼は冒涜《ぼうとく》者だった。演奏の最中に騒々しい嘲弄《ちょうろう》を示したり、あるいは光栄ある楽匠らにたいする軽蔑《けいべつ》の念を述べたてた。
 何事もみな小さな町じゅうに伝わった。彼の一言も取り落とされはしなかった。人々はすでに、前年の行ないについて彼を憎んでいた。アーダといっしょなところを公然と見せつけた破廉恥なやり方を忘れていなかった。彼自身はもう覚えてはいなかった。日は日を消してゆき、今の彼は以前の彼とは非常に隔たっていた。しかし他人は彼のためにそれを覚えていた。隣人に関するあらゆる過失、あらゆる欠点、嫌《いや》な醜い不面目なあらゆるできごとを、一つも消え失《う》せないようにと細かく書きたてて、それを社会的職務としている連中が、すべての小都市に存在している。クリストフの新しい矯激な行ないは、昔の行ないと相並んで、彼の名義で帳簿に書きのせられた。両者はたがいに照合し合った。道徳を傷つけられた恨みに、善良な趣味を涜《けが》された恨みが加わった。最も寛大な人々は彼のことをこう言った。
「わざと変わった真似《まね》をしたがってるんだ。」
 しかし大多数の者は断言した。
「まったく狂人だ。」
 なおいっそう危険な風評が――高貴のところから出ただけに効果の多い風評が――広がり始めた。それは次のようなことだった。……クリストフはやはりつづけて公務のために宮廷へ伺候していたが、そこでも例の悪趣味を出して、親しく大公爵に向かって、世に尊敬されてる楽匠らについて顰蹙《ひんしゅく》すべき無作法な言辞を弄《ろう》した。メンデルスゾーンのエリア[#「エリア」に傍点]を、「
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