かってきても、その意味を解き得ないことがしばしばあった。その観念は、「存在」の底深いところから、識域を越えたはるかの彼方《かなた》から、にわかに迸《はとばし》り出て来るのだった。そして普通の尺度を越えたまったく純粋なその「力」のうちには、意識といえども、自分に関係ある事柄を、自分が定義し分類すべき人間的感情を、少しも認めることができなかった。喜びも悲しみもことごとく、ただ一つの熱情のうちに交っていた。しかもその熱情は理知を超越したものであったから、とうてい理解しがたかった。それでも、理解するしないにかかわらず、理知はその力に一つの名前を与えたがり、人がおのれの頭脳の巣の中に営々として築いてゆく論理組織の一つに、それを結びつけたがっていた。
それでクリストフは、自分の心を乱すその陰闇《いんあん》な力には一定の意味があり、しかもその意味は自分の意志と調和してるものだと、確信していた――確信したがっていた。深い無意識界から迸り出て来る自由な本能は、それとなんら関係のない明確な観念と、理性の軛《くびき》の下において、否応なしに連絡させられていた。かくてそういう作品は、クリストフの精神が描き出した大なる主題と、彼自身の知らないまったく異なった意味をもってる粗野な力とを、無理に並列さしたものにすぎなかった。
彼は自分のうちで相衝突してるたがいに矛盾せる力に駆られながら、また、描出することはできないが、しかし誇らかな喜びをもって感ぜらるる沸きたった力強い生命を、支離滅裂な作品にやたらに投げ込みながら、頭を下げて手探りに進んでいった。
自分の新たな力を意識した彼は、自分の周囲にあるものを、尊重するように言い聞かせられてるものを、文句なしに尊敬してるものを、初めて正視することができた。――そして彼はただちに、傲慢《ごうまん》な自由さをもってそれを批判した。覆面は裂けた。彼はドイツの虚偽を見た。
いかなる民族にも、いかなる芸術にも、皆それぞれ虚構がある。世界は、些少《さしょう》の真実と多くの虚偽とで身を養っている。人間の精神は虚弱であって、純粋|無垢《むく》な真実とは調和しがたい。その宗教、道徳、政治、詩人、芸術家、などは皆、真実を虚偽の衣に包んで提出しなければならない。それらの虚偽は各民族の精神に調和している。各民族によって異なっている。これがために、各民衆相互の理解がきわ
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