とのない魂こそ、実《げ》にも不幸である。世間は名誉と幸福とをその上に積み重ぬるとも、それは死骸《しがい》に冠するものである。

 クリストフは一|閃《せん》の光に打たれた時、一つの放電が全身に伝わった。彼はぎくりとして震えた。それはあたかも、海洋の中にあって、暗夜の中にあって、陸地を見出したようなものだった。あるいはまたあたかも、群集の中を通りながら、二つの深い眼にぶつかったようなものだった。そういう現象はしばしば、精神が空虚のうちに身悶《みもだ》えをする悄沈《しょうちん》の時間のあとに起こった。しかしまた、人と話をしあるいは街路を歩きながら、他のことを考えてる瞬間に、なおしばしば起こった。街路にある時には、人前をはばかって、その喜びをあまり激しく現わすことができなかった。しかし家にいる時には、もうなんの拘束もなかった。彼は足を踏み鳴らした。勝鬨《かちどき》の喇叭《らっぱ》を奏した。母はそれに慣れてきて、ついにはその意味を覚《さと》るようになった。卵を産みたての牝鶏《めんどり》のようだと、彼女はよくクリストフに言った。
 彼は音楽的観念に浸透されていた。その観念は、独立した完全な楽句の形をなしてることもあったが、多くは、一つの作品全部を包み込む大きな星雲の形をなしていた。その楽曲の結構は、主要の筋道は、彫刻的の明確さで影から浮き出してる眩《まばゆ》いばかりの楽句を、ところどころに鏤《ちりば》めた覆《おお》いを通して、おのずから見えていた。それは一つの閃光《せんこう》にすぎなかった。また時とすると、相次いで多くの閃光が起こることもあって、各閃光は暗夜の各すみずみを照らした。しかし普通は、その気まぐれな力は、いったん不意に現われたあとに、輝いた尾をあとに残しながら、おのれの神秘な隠れ家の中に消え失《う》せて、数日姿を現わさなかった。
 そういう霊感《インスピレーション》の悦《よろこ》びは、クリストフに他のすべてをきらわしたほど熾烈《しれつ》なものだった。経験に富んだ芸術家は、霊感はまれなものであることを知っており、直覚の作品を完成するには理知にまつべきものであることを、よく知っている。彼はおのれの観念を搾木《しぼりぎ》にかけ、それに含んでる醇良《じゅんりょう》な汁《しる》を、最後の一滴までも滴《したた》らせる。――(時によっては白水を割ることさえも辞さない。)――しかし
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