。彼の無器用さ、醜さ、ちょっとした滑稽《こっけい》なことなどを、面白がっていた。まったく彼を真面目《まじめ》には考えてなかった(彼女はたいていなことを真面目には考えないのであった)。そのうえ彼女は、クリストフのおかしな客気《かっき》や、乱暴や、架空的な気分などを見て、彼があまり平衡のとれた人間ではないと思っていた。りっぱな人たちでありいい音楽家でありながら、皆多少|狂気《きちがい》じみたところのあるクラフト家の一人を、彼女は彼のうちに認めていた。
 その軽い皮肉は、クリストフの眼にとまらなかった。彼はケリッヒ夫人の親切のみを感じた。彼は人から親切にされることにはあまり慣れていなかった。宮邸における職務上、日々社交界に接触はしていたけれども、あわれなクリストフはいまだに訓練も教育もない荒くれた子供のままだった。利己的な宮廷の人々は、彼の才能を利用することばかり考えて、世話をしてやろうとは少しも考えていなかった。彼は宮邸へやって来、ピアノにつき、演奏し、そして帰ってゆくきりで、口先ばかりのお世辞を言われる以外には、だれからも話しかけられもしなかった。祖父が死んで以来、家でも外でも、だれ一人
前へ 次へ
全221ページ中143ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング