いっしょにおられるよ。」
しかしそれはクリストフが尋ねてることではなかった。
「いいえ、それじゃないよ。どこにいるのさ、あの人[#「あの人」に傍点]は?」
(肉体の意味であった。)
彼は震え声でつづけて言った。
「あの人[#「あの人」に傍点]はまだ家の中にいるの?」
「けさあの人を葬ったよ。」とゴットフリートは言った。「鐘の音を聞かなかったかい?」
クリストフは安堵《あんど》した。が次に、あの大事な祖父にもう二度と会えないかと考えると、また切なげに涙を流した。
「かわいそうに!」とゴットフリートはくり返して言いながら、憐れ深く子供を眺めた。
クリストフはゴットフリートが慰めてくれるのを待っていた。しかしゴットフリートは無駄だと知って慰めようともしなかった。
「叔父《おじ》さん、」と子供は尋ねた、「叔父さんは、あれが恐《こわ》くはないのかい?」
(彼はどんなにか、ゴットフリートが恐がらないことを望んでいたろう、そしてその秘訣を教えてもらいたかったことだろう!)
しかしゴットフリートは気がかりな様子になった。
「しッ!」……と彼は声を変えて言った。
「どうして恐くないことがあるものか。」と彼はちょっとたって言った。「だが仕方はない。そうしたものだ。逆らってはいけない。」
クリストフは反抗的に頭を振った。
「逆らってはいけないのだ。」とゴットフリートはくり返した。「天できめられたことだ。その思召《おぼしめし》を大事にしなければいけない。」
「僕は大|嫌《きら》いだ!」とクリストフは憎々しげに叫んで、天に拳《こぶし》をさし向けた。
ゴットフリートは狼狽《ろうばい》して、彼を黙らした。クリストフ自身も、今自分の言ったことが恐ろしくなって、ゴットフリートといっしょに祈り始めた。しかし彼の心は沸きたっていた。そして卑下と忍従との言葉をくり返しながらも、一方心の底にあるものは、呪《のろ》うべき事柄とそれを創《つく》り出した恐るべき「者」とにたいする、嫌悪と激しい反抗との感情のみであった。
新しく掘り返されて、底にはあわれなジャン・ミシェル老人が放置されてる土の上を、昼は過ぎ去り、雨夜は過ぎてゆく。その当座メルキオルは、いたく嘆き叫びすすり泣いた。しかし一週間も過ぎないうちに、彼の心からの大笑いをクリストフは耳にした。故人の名前を面前で言われると、彼の顔は伸びて悲しい様子になる。しかしすぐその後で、彼はまた活発に話しだし身振りをやりだす。彼はほんとうに心を痛めている、しかし悲しい感銘の中にとどまっていることができないのである。
消極的で忍従的なルイザは、何事をも受けいれると同様に、その不幸をも受けいれた。彼女は日ごとの祈祷に添えて、も一つ祈祷をしている。几帳面《きちょうめん》に墓地へ行き、あたかも家事の一部ででもあるかのように、墓の世話をしている。
ゴットフリートは、老人が眠ってる小さな四角な地面にたいして、非常にやさしい注意を向けている。その地へもどって来る時には、何か記念になる物や、自分の手でこしらえた十字架や、ジャン・ミシェルが好んでいた花などをもって来る。決してそれを欠かすことがなく、しかも人知れずするのである。
ルイザは時々、クリストフを墓参に連れてゆく。花や木の無気味な飾りに覆《おお》われてるその肥えた土地、さらさらした糸杉の香気に交って日向《ひなた》に漂ってる重々しい匂いが、クリストフはひどく嫌いである。しかしその嫌悪の情を口には出さない。卑怯《ひきょう》のようでもあり不信のようでもあって、気がとがめるからである。彼はたいへん不幸である。祖父の死がたえずつきまとっている。彼はずっと以前から、死とはどんなものであるか知っていたし、それを考えては恐《こわ》がっていた。しかしまだかつて実際に見たことはなかったのである。だれでも初めて死を見る者は、まだ死をも生をも、少しも知っていなかったことに気づく。すべては一挙に揺り動かされる。理性もなんの役にもたたない。生きてると信じていたのに、多少人生の経験があると信じていたのに、実は何にも知っていなかったことがわかり、何にも見ていなかったことがわかる。今まで幻のヴェールに、精神が織り出して眼を覆い、現実の恐ろしい相貌を見えなくする幻のヴェールに、すっかり包まれて生きていたのである。頭にもってた苦悩の観念と、実際血まみれになって苦しむ者との間には、なんらの連結もありはしない。死の考えと、もがき死んでゆく肉と霊との痙攣《けいれん》との間には、なんらの連結もありはしない。人間のあらゆる言葉、人間のあらゆる知恵は、ぎごちない自動人形の芝居にすぎない、現実の痛ましい感銘に比べては。――泥と血とで成った惨めな人間、いたずらな努力を尽して生命を取り止めようとしても、生命は刻々に腐爛《ふら
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