もってはいなかった。背が低く、蒼《あお》ざめて、虚弱だった。ところがメルキオルとジャン・ミシェルとは二人とも、背が高く、でっぷりして、赤ら顔の、たくましい拳《こぶし》をし、よく食い、よく飲み、笑い事の好きな、騒ぎやの大男だったので、彼女とおかしな対照をなしていた。彼女はまるで彼らに圧倒されてるかと思われた。だれも彼女へはほとんど注意を向けなかったが、それでも彼女はなおいっそう隅《すみ》っこに引込んでばかりいようとしていた。もしメルキオルがやさしい心をもってるのだったら、彼は他のあらゆる利益をうち捨ててルイザの純良な気質を選んだのだとも、考えられないことはなかった。しかし彼は最も浮薄な男だった。で結局、かなりの好男子で、自分でもそれを知らないではなく、またごく見栄坊《みえぼう》で、そのうえ多少の才能もあり、金持ちの娘に眼をつけることもでき、また彼がみずから自慢してたように、中流市民の女弟子のどれかを夢中にならせることさえもできる――たれかいずくんぞ知らんやではあるが――という、彼のような一個の青年が、財産も教育も容色もない賤《いや》しい娘を、しかも向うからもちかけても来なかった娘を、突然妻に選ぼうとは、まったく賭事《かけごと》みたいな沙汰《さた》らしく見えるのであった。
 しかしメルキオルは、他人が期待してることやまた自分みずからが期待してることとは、常に反対のことを行なうような類《たぐい》の男であった。かかる人たちは目先のきかないわけではない――目先のきく者は二人前の分別があるそうだが……。彼らは何事にも欺《あざむ》かれることがないと高言し、一定の目的の方へ自分の舟を確実に操《あやつ》ってゆけると高言している。しかし彼らは自分自身を勘定に入れていない、なぜなら自分自身を知らないから。いつも彼らにありがちなその空虚な瞬間には、彼らは舵《かじ》を打ち拾てておく。そして物事は勝手に放任さるると、主人の意に反することに意地悪い楽しみを見出すものである。自由に解き放された舟は、まっすぐに暗礁を目がけて進んでゆく。かくて野心家のメルキオルは女中|風情《ふぜい》と結婚した。とは言え、彼女と生涯の約を結んだ時、彼は酔っ払ってもいなければぼんやりしてもいなかった。また彼は情熱の誘《いざな》いをも感じてはいなかった。そんなものは非常に欠けていた。しかしわれわれのうちには、情意以外の他の
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