コーカサスの禿鷹
豊島与志雄
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)禿鷹《はげたか》が
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)王様|然《ぜん》と
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)うむ そして[#「うむ そして」はママ]
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一
コーカサスに、一匹の大きな禿鷹《はげたか》がいました。仲間の者達と一緒に、高い山の頂《いただき》に住んで、小鳥を取って食べたり、麓《ふもと》の方へ下りてきて、死んだ獣《けもの》の肉をあさったりしていましたが、ある時ふと、ひょんな考えを起こしました。
「自分は仲間の誰よりも、体が大きく、力が強く、知恵もあるので、みんなから尊敬されている。そこで一つ奮発《ふんぱつ》して、みんなよりも立派な住居《すまい》をこしらえて、王様|然《ぜん》と構《かま》えこんでいなくちゃなるまい」
そして彼はいろいろ考えた末、国中の一番高い山の頂に、立派な岩屋を探して、そこに住居を定めようとしました。
ところがいよいよとなると、どれが国中で一番高い山か、さらに見当がつきませんでした。一番高そうな山の上に立って、四方を見渡しますと、向こうの山の方がもっと高そうに思われますし、その山の上へ飛んでゆくと、また向こうにもっと高そうな山が見えます。そしてあちらこちらと、山から山へ飛び移ってるうちに、体が疲れてくるし、気持ちはいらいらしてくるし、どれが一番高い山だかさっぱりわからなくなりました。
「こんなじゃとてもわかりっこない。誰かに聞かなくちゃ駄目《だめ》だ。そこで、禿鷹《はげたか》のことなら俺達《おれたち》禿鷹が一番よく知ってるし、山のことなら山自身が一番よく知ってるはずだから……」
そう思いついて彼は、ある山のうえに飛んでいって、大きな岩の上にとまって、山の霊《れい》にたずねてみました。
「もしもし、ちょっとおたずねしますが、国中で一番高い山はどの山でしょうか」
すると、岩の中の方から大きな声がしました。
「俺だ」
禿鷹はびっくりしました。これが国中で一番高い山だったのかしら、と思ってあたりを見渡しますと、どうも向こうの山の方が高そうな気がします。それでなおも一つの山の霊に聞いてみたくなって、向こうの山へ飛んでゆきました。
「もしもし、国中で一番高い山はどの山でしょうか」
すると、その山の霊が岩の中から答えました。
「俺だ」
禿鷹はまたびっくりしました。そして、も一つ他の山にたずねてみようと思って、その方へ飛んでゆきました。
「もしもし、国中で一番高い山はどの山でしょうか」
「俺《おれ》だ」
そこで禿鷹《はげたか》はなお迷いました。そして方々の山へ行ってはたずねましたが、どの山もみな国中で一番高いのは俺だというのです。
さあ禿鷹は困ってしまいました。山自身に聞いてもわからないとすれば……。その時ふと彼は、山の神のことを思いつきました。国中の山の霊《れい》を支配してる山の神に聞けば、きっとわかるにちがいない。「だが……まてよ」と禿鷹は考えました。「国中で一番高い山に巣を作りたいなどと、明《あか》らさまに言えば、山の神は俺を生意気だと思って、教えてくれないかも知れない。これは一つだまかして聞く方がよさそうだ」
彼は一人うなずいてから、山間《さんかん》の森の中に山の神を訪《おとず》れました。
「いつも御機嫌よろしゅうて、結構でございます」
禿鷹が丁寧《ていねい》に御辞儀《おじぎ》をするのに、山の神は大様《おうよう》にうなずいてみせました。
「うむ そして[#「うむ そして」はママ]お前のような者がわしの所へ来たのは、何の用か」
「はい、私共は山の上に住んでおりますので、山については何一つ知らないことはありません。がただ一つ、国中でどれが一番高い山だか、それがわからないで困っております。私共にとっては、山は言わば自分の家でありまして、国中で一番高い山は、自分の家の一番|貴《とうと》い所でありますから、汚さないように大事にしたいと思っておりますが、さてどれが一番高い山だかわからないのです。山の霊に聞いたらわかるかと思って、一々たずねて廻りましたが、どの山の霊もひどくいばりやで、みんな自分が一番高い山だと申します。それで……」
「ああそのことで来たのか」と山の神は言いました。「山の霊《れい》達はみなそんなにいばっているのか。よろしい、わしがよく言いきかしておいてやる」
「はい、どうぞお願いいたします。そして……」
「いやもうよい。山の霊達にはすぐわしが言いきかしてやるから」
禿鷹《はげたか》は初め、山の神から一番高い山を聞き出すつもりでしたが、話がそんなふうになって、とうとう聞きそびれてしまいました。けれども、山の霊達がいばりさえしなければ、山の霊達から聞き出せるにちがいない、と禿鷹は考えて帰ってゆきました。
二
翌日になると、禿鷹は高い山の上へ飛んでいって、その山の霊にたずねました。
「もしもし、国中で一番高い山はどれですか」
岩の中から山の霊が答えました。
「向こうのだ」
禿鷹は向こうの山に飛んでゆきました。
「もしもし、国中で一番高い山はどれですか」
「向こうのだ」
禿鷹は向こうの山に飛んでゆきました。しかしその山の霊も一番高い山は向こうのだと答えます。そんなふうにして、禿鷹《はげたか》はまた方々飛び廻りましたが、どれ一つ自分が一番高いと言う山はありませんでした。
「これは困った。山の神に言われたとみえて、どの山もへりくだってばかりいて、向こうのだ。向こうのだ……と言うんじゃあ、いくら聞いてもわかりっこない。そうだ、も一度山の神の所に行ってみよう」
そこで禿鷹は、山の神の所へ飛んで行きました。
「昨日はありがとうございました。おかげで山の霊《れい》達は少しもいばらなくなりました。けれど困ったことには、みんなへりくだってばかりいて、どれが一番高い山ですかと聞いても、向こうのだ、向こうのだと答えるきりです。それでどうか、も一度お骨折《ほねお》り下すって、いばりもしなければへりくだりもしないように、よく言いきかして下さいませんでしょうか。そうでなければ、どれが一番高い山だか、私共は聞き出すことが出来ませんから」
「よろしい」と山の神は言いました。「お前の言う通りに言いきかしておいてやろう。どの山が一番高いか、わしから教えてやってもよいが、今まで山の霊達にたずねたのだから、やはり山の霊達に聞くがよい。山の霊達には、お前の望み通りわしが言いきかしておいてやる」
「どうぞお願いします」
そして禿鷹は喜んで帰ってゆきました。
三
さて翌日になると禿鷹《はげたか》は、こんどこそは大丈夫だと思って、威勢《いせい》よく、飛んでゆきました。
「もしもし、国中で一番高い山はどれですか」
するとその山の霊《れい》は、いばりもしなければへりくだりもしないで、岩の中から冷《ひやや》かに答えました。
「どれだか知らない」
禿鷹は当《あて》がはずれました。それでもなお、方々の山へ行って、一々たずねてみましたがどの山の霊もみな、どれだか知らない、と同じ冷かな答えをするきりです。
そうなると禿鷹も、山の霊達から聞き出すことはあきらめるほかはありません。それかって、山の神へまた何とか頼みに行くのもしゃくです。はて何かよい工夫《くふう》はあるまいかと、一晩中考えた末、思いついたのは雷《らい》の神のことでした。
「雷の神なら一番高い山を知っているはずだ。がただ聞いたんでは、俺《おれ》の受持ちじゃないと言って教えてくれないかも知れない。これは一つ、雷の神の気短《きみじ》かなのにつけこんで、工夫をめぐらすに限る」
四
禿鷹は翌日、思案《しあん》を定めて、雷の神の岩屋へやって行きました。
「今日はよいお天気のようですが、お休みになるのですか」
「そんなことを聞いてどうするのだ」と雷《らい》の神は破鐘《われがね》のような声で言いました。
「いえ、どうもいたしませんが いつも[#「いたしませんが いつも」はママ]あなたが低い所でばかり雷を鳴らしていらっしゃるので、お疲れになったのじゃないかとおもいまして、へへへ」と禿鷹《はげたか》は変な笑い方をしました。
「何だ、低い所でばかり雷を鳴らしてるから疲れる……」
「私共から見ますと、あなたが低い平地の上にばかり雷を鳴らしていらっしゃるのが、意気地《いくじ》ないような、おかしいような気がします 私共のような[#「気がします 私共のような」はママ]鳥でさえ、高い山の上を飛び廻ってるのですもの、あなたも一つ奮発《ふんぱつ》して、国中で一番高い山の上に雷を落としてみられたら、いかがなものでしょう。それともあなたは、そんなに高い所へは昇れないとおっしゃるのですか」
気の短い雷の神は、それを聞いてもうむかっ腹を立てて、いきなり立ち上がりました。
「よし、それではこれから、国中で一番高い山の上に、大空の上から雷を落としてみせるぞ」
「それは結構でございますな。謹《つつし》んで拝見《はいけん》いたしましょう」
雷の神がうまく策略《さくりゃく》にのったので、禿鷹はしめたと思って微笑《ほほえ》みました。雷が落ちるのを見定《みさだ》めれば、どれが一番高い山だかすぐにわかるし、またそれで、今まで嘘をついた山の霊を、罰するわけにもなるのです。
五
そこで禿鷹《はげたか》は、ある高い山の上に飛び上がって、その頂《いただき》の岩の影から、四方を隈《くま》なくうかがい始めました。
谷間から遠く低く平地へかけて、ぼーっともやがかかっていまして、その間から方々に、高い山の頂がそびえ立って、きらきらと日に照らされています。
するうちに、いつのまにか、日の光が隠れてしまって、今まで低い麓《ふもと》の方にしか出たことのないまっ黒な夕立雲が、驚くほど高く空の上に出てきて、むくむくとふくれ広がってきました。
「雷《らい》の神がいよいよやり始めたな」
そう思って禿鷹《はげたか》は、眼を皿のように見開いてうかがっていました。
夕立雲はますます大きく濃くなって、見る見る内に空を隠してゆき大粒の雨がぽつりぽつり落ちてきて、天地がまっ暗な闇に包まれてしまいました。
「さあもうじきだぞ」
そして禿鷹はさらに眼を見張りましたが 岩の[#「見張りましたが 岩の」はママ]影からではよく見えないので、その山の頂の一番高い岩の上に飛び上がって、雨に濡れながら一生懸命になって、どこに雷が落ちるかを見張りました。
雨はもう大降りになり、天地はなお一層暗くものすごくなり、高い雲の中には雷が鳴り始めました。と思うまに、ぴかっと矢のような光がつっ走って 同時に[#「つっ走って 同時に」はママ]天地もくずるるばかりの音がして……とまでは覚えていましたが、それきり禿鷹《はげたか》はあっというまもなく、息が絶えてしまいました。
禿鷹が上っていた山こそ国中で一番高い山で、そこに雷《らい》の神が雷を落としたものですから、頂上の岩の上にいた禿鷹は、それに打たれて、黒焦《くろこ》げになって死んでしまったのです。
底本:「豊島与志雄童話集」海鳥社
1990(平成2)年11月27日第1刷発行
入力:kompass
校正:門田裕志、小林繁雄
2006年4月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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