楽園の中が見られた。母親は扇のように翼をひろげて雛《ひな》をおおうていた。父親は飛び上がって出て行き、それからまた戻ってきては、嘴《くちばし》の中に餌と脣《くち》づけをもたらしていた。朝日の光はその幸福な一群を金色に輝かし、増せよ[#「増せよ」に傍点]殖《ふ》えよ[#「えよ」に傍点]という自然の大法はそこにおごそかにほほえんでおり、そのやさしい神秘は朝の光栄に包まれて花を開いていた。コゼットは朝日の光を髪に受け、魂を空想のうちに浸し、内部は愛に外部は曙に輝かされ、ほとんど機械的に身をかがめて、同時にマリユスのことを思ってるのだとは自ら気づきもせずに、それらの小鳥を、その家庭を、その雌雄を、その母と雛とを、小鳥の巣から乙女心を深く乱されながらうちながめ始めた。
十一 人を殺さぬ確実なる狙撃《そげき》
襲撃軍の射撃はなお続いていた。小銃と霰弾《さんだん》とはこもごも発射された。しかし実際は大なる損害を与えなかった。ただコラント亭の正面の上部だけはひどく害を受けた。二階の窓や屋根部屋の窓は、霰弾のために無数の穴を明けられて、しだいに形を失ってきた。そこに陣取っていた戦士らは身を隠すのやむなきに至った。けれども、それは防寨攻撃の戦術上の手段であって、長く射撃を続けるのも、暴徒らに応戦さしてその弾薬をなくすためだった。暴徒らの銃火が弱ってき、もはや弾も火薬もなくなったことがわかる時に、いよいよ襲撃をやろうというのだった。しかしアンジョーラはその罠《わな》にかからなかった。防寨《ぼうさい》は少しも応戦しなかった。
兵士らの射撃が来るたびごとにガヴローシュは舌で頬《ほお》をふくらました。それは傲然《ごうぜん》たる軽蔑を示すものだった。
「うまいぞ、」と彼は言った、「どしどし着物を破ってくれ。俺《おれ》たちは繃帯《ほうたい》がいるんだ。」
クールフェーラックは効果の少ない霰弾《さんだん》を嘲《あざけ》って、大砲の方へ向かって言った。
「おい、大変むだ使いをするね。」
戦いにおいても舞踏会におけるがごとく、人は相手をほしがるものである。角面堡《かくめんほう》がかく沈黙してることは、攻撃軍に不安を与え、何か意外の変事が起こりはしないかと心配させ始めたらしい。そして彼らは、舗石《しきいし》の砦《とりで》の向こうを見届けたく思い、射撃を受けながら応戦もしないその平然たる障壁の背後には、どういうことが行なわれてるか知りたく思ったらしい。暴徒らはふいに、近くの屋根の上に日光に輝く一つの兜帽《かぶとぼう》を見いだした。ひとりの消防兵が高い煙筒に身を寄せて、偵察《ていさつ》をやってるらしかった。その視線はま上から防寨の中に落ちていた。
「あそこに困った偵察者が出てきた。」とアンジョーラは言った。
ジャン・ヴァルジャンはアンジョーラのカラビン銃を返していたが、なお自分の小銃を持っていた。
一言も口をきかずに彼は消防兵をねらった。そして一瞬の後には、その兜帽は一弾を受けて音を立てながら街路に落ちた。狼狽した兵士は急いで身を隠した。
第二の観察者がその後に現われた。それは将校だった。再び小銃に弾をこめたジャン・ヴァルジャンは、その将校をもねらい、その兜帽《かぶとぼう》を兵士の兜帽と同じ所に打ち落とした。将校もたまらずにすぐ退いてしまった。そしてこんどは、ジャン・ヴァルジャンの考えが向こうに通じたらしかった。もうだれも再び屋根の上に現われなかった。防寨《ぼうさい》の中をうかがうことはやめられた。
「なぜ殺してしまわないんだ?」とボシュエはジャン・ヴァルジャンに尋ねた。
ジャン・ヴァルジャンは返事をしなかった。
十二 秩序の味方たる無秩序
ボシュエはコンブフェールの耳にささやいた。
「あの男は僕の言葉に返事をしない。」
「射撃をもって好意を施す男だ。」とコンブフェールは言った。
既に昔となってるその当時のことをまだ多少記憶してる人々は、郊外からきた国民兵らが暴動に対して勇敢であったことを知ってるであろう。彼らは特に一八三二年六月の戦いに熱烈で勇猛だった。パンタンやヴェルテュやキュネットなどの飲食店の主人のうちには、暴動のために「営業」を休まなければならなくなり、舞踏室が荒廃したのを見て憤激し、飲食店の秩序を保たんがために、ついに戦死した者もあった。かく中流市民的にしてまた勇壮なるこの時代には、種々の思想にもそれに身をささぐる騎士がいるとともに、種々の利益にもそれをまもる勇士がいた。動機の卑俗さは何ら行動の勇壮さを減殺しはしなかった。蓄積された貨幣の減少を回復せんがためには、銀行家らもマルセイエーズを高唱した。勘定場のためにも叙情詩的な血が流された。人々はスパルタ的な熱誠をもって、祖国の微小縮図たる店頭を防御した。
根本
前へ
次へ
全155ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング