てみた。彼女の子供の時のこと、彼女の若い時のこと、それについて彼女と話をしてみた。そしてあの徒刑囚がコゼットに対して、およそあり得る限り善良で慈悲深くりっぱに振る舞ってきたことを、しだいに確認するに至った。マリユスが推察し仮定していたことはすべて事実だった。その気味悪い蕁麻《いらくさ》はこの百合《ゆり》を愛して保護してきたのであった。
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第八編 消えゆく光
一 下の室《へや》
翌日、夜になろうとする頃、ジャン・ヴァルジャンはジルノルマン家を表門から訪れた。彼を迎えたのはバスクだった。バスクはちょうど中庭に出ていて、何か言いつけを受けてでもいるがようだった。誰某《だれそれ》さんがこられるから気をつけておいでと召し使いに言うと、ちょうどその人がやってくる、そういうことも時々あるものである。
バスクはジャン・ヴァルジャンが近寄るのも待たないで、彼に言葉をかけた。
「二階がおよろしいか階下《した》がおよろしいか伺うようにと、男爵様の仰せでございます。」
「階下《した》にしよう。」とジャン・ヴァルジャンは答えた。
バスクはもとよりきわめて恭《うやうや》しい態度で、低い室の扉《とびら》を開いて、そして言った。「ただ今奥様に申し上げます。」
ジャン・ヴァルジャンが通されたのは、丸天井のついたじめじめした階下の室で、時々物置きに使われ、街路に面し、赤い板瓦が舗《し》いてあり、鉄格子《てつごうし》のついた窓が一つあるきりで、中は薄暗かった。
それははたきやブラシや箒《ほうき》でいじめられる室《へや》ではなかった。ほこりは静かに休らっていた。蜘蛛《くも》は何らの迫害も受けないでいた。りっぱな蜘蛛の巣が一つ、まっ黒に大きくひろげられ蠅の死体で飾られて、窓ガラスの上に車輪のようにかかっていた。室は狭くて天井も低く、一隅には空罎《あきびん》が積まれていた。石黄色の胡粉《ごふん》で塗られた壁は、所々大きく剥落《はくらく》していた。奥の方に黒塗りの木の暖炉が一つあって、狭い棚《たな》がついていた。中には火が燃えていた。それは「階下にしよう[#「階下にしよう」に傍点]」というジャン・ヴァルジャンの返事が既に予期されてたことを、明らかに示すものだった。
二つの肱掛《ひじか》け椅子《いす》が暖炉の両すみに置かれていた。椅子の間には、毛よりも糸目の方がよ
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