ことだからお前は退屈するに違いない。」
「まああなたは、今朝《けさ》きれいな襟飾《えりかざ》りを[#「きれいな襟飾《えりかざ》りを」は底本では「きれいな襟飾《えりかざ》を」]していらっしゃるのね。ほんとにおしゃれだこと。いえ、数字でも私は退屈しませんわ。」
「きっと退屈するよ。」
「いいえ。なぜって、あなたのお話ですもの。よくはわからないか知れないけれど、おとなしく聞いていますわ。好きな人の声を聞いておれば、その意味はわからなくてもいいんですもの。ただ私はいっしょにいたいのよ。あなたといっしょにいますわ、ねえ。」
「大事なお前のことだけれど、それはいけないんだ。」
「いけないんですって!」
「ああ。」
「よござんすわ。」とコゼットは言った。「いろんなお話があるんだけれど。お祖父様《じいさま》はまだお起きになっていません。伯母様《おばさま》は弥撒《みさ》に参られました。フォーシュルヴァンお父様の室《へや》では、暖炉から煙が出ています。ニコレットは煙筒掃除人を呼びにやりました。トゥーサンとニコレットとはもう喧嘩《けんか》をしました。ニコレットがトゥーサンの吃《ども》りをからかったんです。でも何にもあなたには話してあげないわ。いけないんですって? では私の方でも、覚えていらっしゃい、いけないと言ってあげるわ。どちらが降参するでしょうか。ねえ、マリユス、私もあなたたちおふたりといっしょにここにいさして下さいな。」
「いや、是非ともふたりきりでなければいけないのだ。」
「では私はほかの者だとおっしゃるの?」
 ジャン・ヴァルジャンはそれまで一言も発しなかった。コゼットは彼の方を向いた。
「まずお父様、私はあなたに接吻《せっぷん》していただきたいわ。私の加勢もしず何ともおっしゃらないのは、どうなすったんです。そんなお父様ってあるものでしょうか。このとおり私は家庭の中でごく不幸ですの。夫《おっと》が私をいじめます。さあすぐに私を接吻して下さいな。」
 ジャン・ヴァルジャンは近寄った。
 コゼットはマリユスの方を向いた。
「私はあなたはいや。」
 それから彼女はジャン・ヴァルジャンに額を差し出した。
 ジャン・ヴァルジャンは一歩進み寄った。
 コゼットは退った。
「お父様、まあお顔の色が悪いこと。お手が痛みますの。」
「それはもうよくなった。」とジャン・ヴァルジャンは言った。
「よ
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