ったものだ。すべからく互いに愛し合うべし。もし愛し合うことがなかったならば、春があったとて何の役に立つかわしにはわからない。そうなったらわしはむしろ神に願って、神がわれわれに示してくれる美しいものを皆寄せ集め、それをわれわれから取り戻し、花や小鳥やきれいな娘を、再びその箱に閉じ込めてもらいたいくらいだ。子供たちよ、この好々爺《こうこうや》の祝福を受けてくれ。」
 その一晩の饗宴《きょうえん》は、にぎやかで快活で楽しいものだった。一座を支配する祖父の上きげんさは、すべてのものの基調となり、各人はほとんど百歳に近い老人のへだてない態度に調子を合わしていた。舞踏も少し行なわれ、また盛んに談笑された。甘えっ児の婚礼だった。高砂《たかさご》の爺《じい》さんを招いてもいいほどだった。それにまた、高砂の爺さんはジルノルマン老人のうちに含まれていた。
 かくて大騒ぎをした後に、静寂《せいじゃく》が落ちてきた。
 新夫婦は退いていった。
 十二時少し前に、ジルノルマン家は寺院のようにひっそりとなった。
 ここでわれわれは筆を止めよう。結婚の夜の入り口には、ひとりの天使が立っていて、ほほえみながら口に指をあてている。
 愛の祝典があげらるる聖殿に対しては、人の魂は瞑想《めいそう》にはいってゆく。
 それらの人家の上には光輝があるに違いない。その中にこもってる喜びは、光となって石の壁を通し、ほんのりと暗黒を照らすに違いない。その運命に関する神聖な祝いは、必ずや天国的な光明を無窮のうちに送るに相違ない。愛は男女の融合が行なわれる崇高な坩堝《るつぼ》である。一体と三体と極体と、人間の三位一体がそれから出てくる。かく二つの魂が一つとなって生まれ出ることは、影にとっては感動すべきことに違いない。愛する男はひとりの牧師である。歓喜せる処女はびっくりする。かかる喜悦のあるものは神のもとまで達する。真に結婚がある所には、すなわち恋愛がある所には、理想もそれに交じってくる。結婚の床は、暗闇《くらやみ》の中の一隅に曙《あけぼの》を作り出す。もし上界の恐るべきまた麗しい象《かたち》を肉眼で見得るものとするならば、夜の形象が、翼のある見知らぬ者らが、目に見えない境を過《よ》ぎりゆく青色の者らが、身をかがめて、輝く人家のまわりに暗い頭を寄せ集め、満足し祝福しつつ、処女の新婦を互いにさし示し、やさしい驚きの様子を
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