て太陽となり、マリユスはコゼットにとって全世界となる、そういうふうでなくてはいかん。コゼット、夫のほほえみをお前の晴天とするがいい、マリユス、妻の涙をお前の雨とするがいい。そして願わくば、お前たちの家庭に決して雨が降らないようにな。お前たちは恋愛結婚といういい籤《くじ》を引きあてた。その大変な賞品を得たのだから、それを大事にし、鍵《かぎ》をかけてしまって置き、やたらに使ってしまわないで、互いに愛し合い、その他のことは顧みないでいい。わしが言うことをよく心に止めておかなくてはいかん。これは良識《ボンサンス》だ。良識は決して人を誤るものではない。互いに信仰し合わなくてはいかん。だれにでも神を拝む独特のやり方があるものだ。ところで神を拝む最もいい方法は、自分の妻を愛することだ。私はお前を愛する! というのがわしの教理要領だ。だれでも愛を持ってるものはすなわち正教派だ。アンリ四世の誓投詞では飽食と酩酊《めいてい》との間に神聖というものが置かれていた。すなわち酔っ払いの神聖なる腹!([#ここから割り注]訳者注 語気を強めるために、よし、畜生、などというのと同じ意味のもの[#ここで割り注終わり])しかしわしはそういう宗派ではない。それには婦人が忘れられてる。アンリ四世の誓投詞にそういうことがあるのはわしの意外とするところだ。諸君、婦人なるかなです。人はわしを老人だと言う。しかし不思議にもわしは自分ながら若返ってくるような気がする。わしは森の中に行って睦言《むつごと》を聞きたいくらいだ。麗しく幸福である道を心得てるそれらの若者どもは、わしの心を酔わしてくれる。もしだれか見たいというなら、すてきな結婚をしてみせてもいい。いずれの点から考えても、神がわれわれ人間を作ったのは、こういうことをさせるためだったに違いない、すなわち、夢中にかわいがり、喋々喃々《ちょうちょうなんなん》し、美しく着飾り、鳩のようになり、牡鶏《おんどり》のようになり、朝から晩まで恋愛をつっつき回し、かわいい妻のうちに自分の姿を映してみ、得意になり、意気揚々として、反《そ》りくり返ることだ。それが人生の目的である。御免を被って申せば、われわれ老人がまだ若い頃一般に考えていたことは、そういうようなことだった。ああその頃は、いかにあでやかな女が、愛くるしい顔ややさしい姿が、たくさんいたことだろう! わしはその中を荒し回
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