にも余りあるほどである。いにしえの王政時代の奉行《ぶぎょう》と十八世紀の末十年間の革命市庁とが、一八〇六年以前に存在していた五里の下水道を穿《うが》つに至ったのも、辛うじてのことだった。あらゆる種類の障害がその事業を妨げた、あるいは地質上の障害もあれば、あるいはパリーの労働者階級の偏見から来る障害もあった。鶴嘴《つるはし》や鍬《くわ》や鑚《きり》などのあらゆる操作に著しく不便な地層の上に、パリーは立っている。パリーという驚くべき歴史的組織が積み重ねらるるその地質的組織ほど、穿ち難く貫き難いものはない。その沖積層《ちゅうせきそう》の中に何かの形で工事を始めて進み込もうとすると、地下の抵抗は際限もなく現われてくる。溶《と》けた粘土があり、流れる泉があり、堅い岩があり、専門の科学で俗に芥子《からし》と言われる柔らかい深い泥土《でいど》がある。薄い粘土脈やアダム以前の大洋にいた牡蠣《かき》の殻をちりばめてる化石層などと交互になっている石炭岩層の中を、鶴嘴は辛うじて進んでゆく。時とすると水の流れが突然現われてきて、始められたばかりの穹窿《きゅうりゅう》を突きこわし、人夫らを溺《おぼ》らすこともある。あるいは泥灰岩が流れ出し、瀑布《ばくふ》のような勢いで奔騰して、ごく大きな押さえの梁《はり》をもガラスのように砕く。最近のことであるが、ヴィエットで、サン・マルタン掘割りの水を涸《か》らしもせず航運にも害を与えないようにして、その下に集合下水道を通さなければならなかった時、掘割りの底に裂け目ができて、にわかに地下の工事場に水があふれてき、吸い上げポンプの力にもおよばなかった。それで潜水夫を入れてその裂け目をさがさせると、大だまりの口の所にあることがわかったので、非常な骨折りでそれをふさいだ。また他の所、すなわちセーヌ川の近くやあるいはかなり離れた所でも、たとえばベルヴィルやグランド・リューやリュニエール通路などで、人が足を取られてすっかり沈み込んでしまうほどの底なし泥砂《でいさ》に出会った。その上になお、有毒ガスのための窒息、土壌の墜落のための埋没、突然の崩壊。その上になお、チブスもあって、人夫らはしだいにそれに感染する。近頃でも、深さ十メートルの塹壕《ざんごう》の中で働きながら、ウールクの主要水管を入れるための土堤を作ってクリシーの隧道《すいどう》を掘り、更に、地すべりのする間を
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