いかなる目的でか? 否何の目的もない。いかなる考えでか? 否何という考えもない。何ゆえにか? 否理由はない。いかなる機関によってか? その腸によってである。腸とは何であるか? 曰《いわ》く、下水道。
二千五百万という金額は、その方面の専門科学によって見積もられた概算のうちの最も低い額である。
科学は長い探究の後、およそ肥料中最も豊かな最も有効なのは人間から出る肥料であることを、今日認めている。恥ずかしいことであるが、われわれヨーロッパ人よりも先に支那人はそれを知っていた。エッケベルク氏の語るところによれば、支那の農夫で都市に行く者は皆、われわれが汚穢《おわい》と称するところのものを二つの桶《おけ》にいっぱい入れ、それを竹竿《たけざお》の両端に下げて持ち帰るということである。人間から出る肥料のお陰で、支那の土地は今日なおアブラハム時代のように若々しい。支那では小麦が、種を一粒|蒔《ま》けば百二十粒得らるる。いかなる海鳥糞《かいちょうふん》も、その肥沃《ひよく》さにおいては都市の残滓《ざんさい》に比すべくもない。大都市は排泄物《はいせつぶつ》を作るに最も偉大なものである。都市を用いて平野を肥《こや》すならば、確かに成功をもたらすだろう。もしわれわれの黄金が肥料であるとするならば、逆に、われわれの出す肥料は黄金である。
この肥料の黄金を人はどうしているか? 深淵《しんえん》のうちに掃きすてているのである。
多くの船隊は莫大《ばくだい》な費用をかけて、海燕やペンギンの糞《ふん》を採りに、南極地方へ送り出される。しかるに手もとにある無限の資料は海に捨てられている。世間が失っている人間や動物から出るあらゆる肥料を、水に投じないで土地に与えるならば、それは世界を養うに足りるであろう。
標石のすみに積まれてる不潔物、夜の街路を通りゆく泥濘《でいねい》の箱車、塵芥《ごみ》捨て場のきたない樽《たる》、鋪石《しきいし》に隠されてる地下の臭い汚泥《おでい》の流れ、それらは何であるか? 花咲く牧場であり、緑の草であり、百里香や麝香草《じゃこうそう》や鼠尾草《たむらそう》であり、小鳥であり、家畜であり、夕方満足の声を立てる大きな牛であり、かおり高い秣《まぐさ》であり、金色の麦であり、食卓の上のパンであり、人の血管を流るるあたたかい血液であり、健康であり、喜悦であり、生命である。地にあ
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