ニがお前にできるもんか。」とガヴローシュは叫んだ。「この手紙はシャンヴルリー街の防寨《ぼうさい》からきたんだ。俺はまたそこに帰ってゆくんだ。では失敬。」
 そう言ってガヴローシュは立ち去った、というよりむしろ、籠《かご》から出た小鳥のようにもときた方へ飛んでいった。そして弾丸のようにすみやかに、闇《やみ》の中にま一文字に飛び込んでしまった。オンム・アルメ街は再び沈黙と静寂とに返った。またたくまに、影のようなまた夢のようなその不思議な少年は、暗い人家の立ち並んでる靄《もや》の中に沈み込み、闇の中の煙のように見えなくなってしまった。それから二、三分の後、ガラスのこわれる音や街灯が火の粉を上げながら舗石《しきいし》の上に落ちる音がして、また突然市民を驚かし憤らしたけれど、もしそれがなかったならば、少年はどこかへ消散し消滅してしまったかと思われるほどだった。その物音は、ショーム街を通りながらガヴローシュのやったことだった。

     三 コゼットとトゥーサンとの眠れる間に

 ジャン・ヴァルジャンはマリユスの手紙を持って家にはいった。
 彼は餌物《えもの》をつかんでる梟《ふくろう》のように暗闇《くらやみ》に満足して、手探りに階段を上がってゆき、静かに戸を開いてまた閉ざし、何か物音が聞こえはしないかと耳を澄まし、コゼットとトゥーサンとが確かに眠ってるらしい様子を見て取り、フュマードの発火壜《はっかびん》に付け木を三、四本差し入れてようやく火をともした。それほど彼の手は震えていたのである。それだけのことをする彼の様子には、何か窃盗でもやってるらしい趣があった。ついに彼は蝋燭《ろうそく》に火をともし、テーブルの上に肘《ひじ》をつき、紙を開いて読んだ。
 情の激してる時には、人は文字を読み下すことをしないで、言わば手に持ってる紙を地面にたたきつけ、犠牲に対するようにそれにつかみかかり、それを握りしめ、憤怒かもしくは喜びの爪《つめ》をその中につき立てる。結末に飛び越え、初めに飛び返る。注意は熱に燃える。概略、おおよそ、要点、をのみ了解する。一点をつかんで、他は消えうせてしまう。コゼットに送ったマリユスの寸簡のうちにジャン・ヴァルジャンは次の数語をしか見なかった。

[#ここから2字下げ]
……私は死ぬ。……これをあなたが読む頃には、私の魂はあなたの傍《そば》にあって……。
[#ここで字下げ終わり]

 その数語に対して、彼は激しい眩惑《げんわく》を覚えた。しばらくは、心の中に起こった感情の変化に押しつぶされたまま、驚駭《きょうがい》の念に酔ったかのようにマリユスの手紙をながめていた。彼は目の前に、憎むべき男の死という美しい光景を描き出していた。
 彼は内心の喜びの恐ろしい叫びをもらした。――かくて万事終わったのである。結末は思ったよりも早く到来した。彼の運命をふさいでいる男は今や消えうせんとしていた。その男は自ら勝手におのれの意志で立ち去ったのである。彼ジャン・ヴァルジャンが少しも手出しをすることなく、少しも罪を犯すことなくして、「あの男」は死のうとしていた。おそらくはもう既に死んでるかも知れなかった。――そこで彼の熱に浮かされた心は推測を始めた。――否。彼はまだ死んではいない。手紙は明らかに、明朝コゼットに読ますように書かれている。十一時と十二時との間に聞こえた二度の一斉射撃《いっせいしゃげき》以来、何の音も聞こえなかった。防寨《ぼうさい》は夜明けにならなければ本当の攻撃は受けないだろう。しかしいずれにしても同じことである。「あの男」は、一度戦いにはいった以上もう助かるものではない。彼は歯車のうちに巻き込まれているのである。――ジャン・ヴァルジャンはほっと助かったような気がした。これで再びコゼットとただ二人きりになるのだった。競争はやんだ。前途はまた開けてきた。彼はただその手紙をポケットの中に隠して置きさえすればよかった。コゼットは「あの男」がどうなったか永久に知らないだろう。「今はただ万事をその成り行きに任せるばかりだ。あの男はとうてい脱《のが》れることはできない。まだ死んでいないにしても、やがて死ぬことは確かだ。何という幸福だろう!」
 それだけのことを心の中で言ってから、彼は陰鬱《いんうつ》になった。
 それから彼はおりていって、門番を起こした。
 一時間ばかりの後、ジャン・ヴァルジャンはすっかり国民兵の服をつけ武装して出かけていった。門番はその近所で、彼の身じたくに必要な品々をすべて手に入れることができたのである。ジャン・ヴァルジャンは弾丸をこめた銃と弾薬のいっぱいはいった弾薬盒《だんやくごう》とを携えていた。彼は市場町の方へ進んでいった。

     四 ガヴローシュの熱狂

 そのうちに、ガヴローシュには一事件が起こっていた。

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