を変えた。
「時にね。」
「何だ?」
「この間妙なことがあったよ。まあ俺《おれ》がある市民に会ったと思うがいい。するとその男が俺にお説教と財布とをくれた。俺はそれをポケットに入れた。ところがすぐあとでポケットを探ると、もう何にもねえんだ。」
「お説教だけ残ったんだな。」とガヴローシュは言った。
「だがお前は、」とモンパルナスは言った、「これからどこへ行くんだ。」
 ガヴローシュは引き連れたふたりの子供をさして言った。
「この子供どもを寝かしに行くんだ。」
「どこだ、寝かすのは。」
「俺の家《うち》だ。」
「お前の家って、どこだ。」
「俺の家だ。」
「では家があるのか。」
「うむ、ある。」
「そしてそりゃあどこだ。」
「象の中だ。」とガヴローシュは言った。
 モンパルナスは生来あまり驚かない方ではあったが、声を上げざるを得なかった。
「象の中!」
「そうだ、象の中だ。」とガヴローシュは言った。「せがどった?」
 この終わりの一語もまた、だれもそう書きはしないが、だれでも話してる言葉である。「せがどった」というのは、「それがどうした?」という意味である。
 浮浪少年のその深い見解は、ついにモンパルナスを落ち着けまじめになした。彼はガヴローシュの住居に賛成しだしたようだった。
「なるほど、」と彼は言った、「あの象か。中はどんな気持ちだ?」
「いいね、」とガヴローシュは言った、「まったくすてきだ。橋の下のように風はこないしね。」
「どうしてはいるんだ。」
「そりゃあはいれるさ。」
「穴でもあるのか。」とモンパルナスは尋ねた。
「うむ。だが人に言っちゃあいけねえよ。前足の間にあるんだ。いぬ[#「いぬ」に傍点]どもも気がついていないんだ。」
「でお前はそこから上ってゆくのか。なるほどな。」
「かさこそっとやればもう大丈夫、だれの目にもつかねえ。」
 そしてちょっと言葉を切って、ガヴローシュはまた言い添えた。
「この子供には、梯子《はしご》をかけてやろう。」
 モンパルナスは笑い出した。
「いったいどこからその餓鬼どもを拾ってきたんだ。」
 ガヴローシュは事もなげに答えた。
「理髪屋が俺《おれ》にくれたんだ。」
 そのうちにモンパルナスは考え込んだ。
「お前にはすぐに俺がわかったんだな。」と彼はつぶやいた。
 彼はポケットから何か二つの小さな物を取り出したが、それは綿にくるんだ二つの羽軸に外ならなかった。彼はそれを両方の鼻の穴に差し込んだ。すると鼻の形がまったく異なってしまった。
「すっかり変わったよ、」とガヴローシュは言った、「その方が男っぷりがいいや、いつもそうしてる方がいいね。」
 モンパルナスは好男子であったが、ガヴローシュはひやかしたのだった。
「冗談はぬきにして、」とモンパルナスは尋ねた、「これでどうだろう。」
 彼は声まで変わっていた。一瞬間のうちにモンパルナスは別人になってしまった。
「まったくポリシネル([#ここから割り注]道化者[#ここで割り注終わり])だ。」とガヴローシュは叫んだ。
 ふたりの子供はそれまで彼らの言葉に耳も傾けないで、指先で鼻の穴をほじくっていたが、ポリシネルという言葉を聞いて近寄ってき、始めておもしろがり感心しだしてモンパルナスをながめた。
 ただ不幸にもモンパルナスは安心していなかった。
 彼はガヴローシュの肩に手を置き、一語一語力を入れて言った。
「いいかね。俺がもし番犬と短剣と一件とを組んで広場んでもいるんなら、そしてお前が十スーばかんふんばってでもくれるんなら、少し手を貸さんもんでもねえんだがね、今はぼんやりふんぞってもおれんからな。」
 その変な言葉を聞いて、浮浪少年は妙な態度をとった。彼は急いでふり返り、深く注意をこめてその小さな輝いた目であたりを見回し、そして数歩向こうに、こちらに背を向けて立ってるひとりの巡査を見つけた。ガヴローシュは思わず「なるほど」と言いかけたが、すぐにその言葉をのみ込んでしまって、それからモンパルナスの手を握って打ち振りながら言った。
「じゃ失敬。俺《おれ》は餓鬼どもをつれて象の所へ行こう。もし晩に用でもあったら、あすこへこいよ。中二階に住んでるから。門番もいやしねえ。ガヴローシュ君と尋ねて来りゃあすぐわかるよ。」
「よし。」とモンパルナスは言った。
 そして彼らは別れて、モンパルナスはグレーヴの方へ、ガヴローシュはバスティーユの方へ向かった。五歳の子供は兄に連れられ、兄はガヴローシュに連れられて、何度もふり返っては、「ポリシネル」が立ち去るのをながめた。
 巡査がいることをモンパルナスがガヴローシュに伝えた変な言葉には、種々の形の下に十何回となくくり返されたん[#「ん」に傍点]という音の合い図を含んでいるのだった。この別々に発音されないで巧みに文句のうちに交じえ
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