ローシュは落ち着いて冷然と言った。「白いパンがいるんだ。洗い立てのようなやつだ。俺《おれ》がごちそうするんだからな。」
パン屋は思わず微笑して、それから白パンを切りながら、三人をあわれむようにながめた。ガヴローシュはそれがしゃくにさわった。
「おい丁稚《でっち》、」と彼は言った、「なんだってそうじろじろ見てるんだ。」
だが三人をつぎ合わしても、やっと一尋《ひとひろ》くらいなものだったろう。
パンが切られると、パン屋は一スー銅貨を引き出しに投げ込み、ガヴローシュはふたりの子供に言った。
「やれよ。」
子供はぼんやりして彼をながめた。
ガヴローシュは笑い出した。
「あはあ、なるほど、まだわからないんだな。小《ちっ》ちゃいからな。」
そして彼は言い直した。
「食えよ。」
同時に彼は、ふたりにパンを一切れずつ差し出した。
そして、年上の方はいくらか話せるやつらしいので、少し勇気をつけてやって、遠慮なく腹を満たすようにしてやるがいいと彼は思って、一番大きな切れを与えながら言い添えた。
「これをつめ込むがいい。」
一切れは一番小さかったので、彼はそれを自分のにした。
あわれな子供らは、ガヴローシュもいっしょにして、非常に腹がすいていた。で三人はその店先に並んで、パンをがつがつかじり出した。パン屋はもう金をもらってしまったので、しかめっ面《つら》をして彼らをながめていた。
「往来に戻っていこう。」とガヴローシュは言った。
彼らはまたバスティーユの方へ歩き出した。
時々、明るい店の前を通る時、年下の方は立ち止まって、紐《ひも》で首にかけてる鉛の時計を出して時間を見た。
「なるほどまだ嘴《くちばし》が黄色いんだな。」とガヴローシュは言った。
それからふと考え込んで、口の中でつぶやいた。
「だが、俺にもし子供《がき》でもあったら、もっと大事にするかも知れねえ。」
彼らがパンの切れを食い終わって、向こうにフォルス監獄の低いいかめしい潜門《くぐりもん》が見える陰鬱《いんうつ》なバレー街の角《かど》まで達した時、だれかが声をかけた。
「やあ、ガヴローシュか。」
「やあ、モンパルナスか。」とガヴローシュは言った。
浮浪少年に言葉をかけた男は、モンパルナスが変装してるのにほかならなかった。青眼鏡《あおめがね》をかけて姿を変えてはいたが、ガヴローシュにはすぐにわかった。
「畜生、」とガヴローシュは言い続けた、「唐辛《とうがらし》の膏薬《こうやく》みたいなものを着て青眼鏡をかけてるところは、ちょっとお医者様だ。なるほどいいスタイルだ。」
「シッ、」とモンパルナスは言った、「高い声をするな。」
そして彼は、すぐに店並みの光が届かない所にガヴローシュを連れ込んだ。
ふたりの子供は手をつなぎ合って機械的にそのあとについていった。
彼らがある大きな門の人目と雨とを避けた暗い迫持《せりもち》の下にはいった時、モンパルナスは尋ねた。
「俺が今どこへ行くのか知ってるか。」
「お陀仏堂《だぶつどう》([#ここから割り注]絞首台[#ここで割り注終わり])へでも行くんだろう。」とガヴローシュは言った。
「ばか言うな。」
そしてモンパルナスは言った。
「バベに会いに行くんだ。」
「ああ、」とガヴローシュは言った、「女の名はバベって言うのか。」
モンパルナスは声を低めた。
「女じゃねえ、男だ。」
「うむ、バベか。」
「そうだ、あのバベだ。」
「あいつは上げられてると思ったが。」
「うまくはずしたんだ。」とモンパルナスは答えた。
そして彼はこの浮浪少年に、バベはちょうどその日の朝、付属監獄へ護送されて、「審理場の廊下」で右に行く所を左に行ってうまく脱走したことを、かいつまんで話した。
ガヴローシュはその巧みなやり口に感心した。
「上手なやつだな!」と彼は言った。
モンパルナスはバベの脱走について二、三の詳しいことをなお言い添えて、最後に言った。
「ところがまだそればかりじゃあねえんだ。」
ガヴローシュは話を聞きながら、モンパルナスが手に持ってたステッキを取り、そして何とはなしにその上の方を引っ張ってみた。すると刀身が現われた。
「ああ、」と彼はすぐに刀身を納めながら言った、「豪《えら》いやつを隠してるな。」
モンパルナスは目をまたたいてみせた。
「なるほど、」とガヴローシュは言った、「いぬ[#「いぬ」に傍点]をやっつけるつもりだね。」
「そんなことあわかるもんか。」とモンパルナスは事もなげに答えた。「とにかく一つ持ってる方がいいからな。」
ガヴローシュはしつこく言った。
「今晩いったい何をするつもりなんだい?」
モンパルナスはまたまじめな問題に立ち返って、一語一語のみ込むように言った。
「いろんなことだ。」
そして彼はにわかに話題
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