考え込んでいて、ごく質素な服装をし、老年のせいかゆっくり歩いて、星明りの夕を逍遙《しょうよう》してるもののようだった。
第二の人影は、背を伸ばし堅固でやせていた。前の男と歩調を合わしてはいたが、その故意にゆるくした歩き方のうちにも身軽さと敏捷《びんしょう》さとが見えていた。そして何となく荒々しい怪しいふうが感ぜられはしたが、それでも風流人士とも称し得るような様子をしていた。帽子はりっぱな形のものであり、フロック型の上衣は黒で仕立てもよく、地質も上等のものらしく、きっちり身体に合っていた。みごとな健やかな様子で頭をすっくと上げ、帽子の下からは、青年らしい白い顔が薄ら明りにぼんやり見えていた。口には一輪の薔薇《ばら》の花をくわえていた。ガヴローシュはその第二の人影に確かな見覚えがあった。それはモンパルナスだった。
第一の人影については、ただ素朴な老人であるというほか、彼は何にも知るところがなかった。
ガヴローシュは直ちに観察にとりかかった。
ふたりの通行人のうちのひとりは、もひとりに対して何か計画をいだいてることは明らかだった。ガヴローシュはその成り行きを見るのにいい地位にいた。寝場所はちょうどよい具合に潜伏所ともなっていた。
こんな時刻に、こんな場所で、モンパルナスが人の跡をつけてるのは、恐ろしいことだった。ガヴローシュは浮浪少年ながらも、老人に対して憐憫《れんびん》の情を動かした。
どうしたものであろう。手を出すべきであろうか。しかしひとりの弱者が他の弱者を助けに行ったところでどうなるものか。ただモンパルナスの嘲笑《ちょうしょう》を買うばかりだ。この十八歳の恐ろしい無頼漢にとっては、第一に老人と第二に子供とでは、ただ二口の餌食《えじき》に過ぎないということを、ガヴローシュは認めざるを得なかった。
ガヴローシュが考えあぐんでいるうちに、突然恐ろしい襲撃が起こった。驢馬《ろば》に対する虎《とら》の襲撃であり、蠅《はえ》に対する蜘蛛《くも》の襲撃であった。モンパルナスはいきなり口の薔薇《ばら》の花を投げ捨て、老人の上に飛びかかり、その襟《えり》をとらえて鷲《わし》づかみにし、そこにしがみついてしまった。ガヴローシュはほとんど叫び声を出さんばかりになった。一瞬間のうちに、ひとりはもひとりの下に組みしかれ、膝《ひざ》でぐっと胸を押さえられて、ねじ伏せられうなりもがいていた。ただそれはガヴローシュが思っていたこととはまったく反対だった。打ち倒されたのはモンパルナスであって、上になってるのが老人だった。
それらのことがガヴローシュの数歩先の所で起こったのだった。
老人は一撃を受けたが、すぐに猛烈な一撃を報いたので、またたくまに襲撃者と被襲撃者とは位置をかえたのである。
「これはすごい爺《じい》さんだ、」とガヴローシュは考えた。
そして彼は思わず手をたたいた。が拍手は何の用もなさなかった。ふたりの闘士は、互いに夢中になって何にも気づかず、息を交じえるばかりに相接して争っていたので、その音を耳にしなかった。
するとたちまち静かになった。モンパルナスは身をもがくのをやめた。ガヴローシュはひとりで言った、「死んだのかしら。」
老人はその間一語をも発せず、叫び声をも立てなかった。彼は立ち上がった。そしてガヴローシュはモンパルナスに彼がこういうのを聞いた。
「起きろ。」
モンパルナスは起き上がった。しかし老人は彼をとらえていた。モンパルナスは面目なげなしかも憤激した態度をして、あたかも羊に捕えられた狼《おおかみ》のようだった。
ガヴローシュは目と耳との力を合わして、のぞきまた聞いていた。夢中になっておもしろがっていた。
彼は一生懸命にうかがっていただけのことがあった。暗闇《くらやみ》のために妙に悲痛に聞こえる次の対話をそっくり聞き取り得た。老人は尋ね、モンパルナスは答えた。
「お前は幾歳《いくつ》だ。」
「十九。」
「お前は強くて丈夫だ。なぜ働かないのか。」
「いやだからさ。」
「職業は何だ。」
「何にもしないことだ。」
「まじめに口をききなさい。いったい何をしてもらいたいのか。何になりたいのか。」
「泥坊にだ。」
ちょっと言葉が途切れた。老人は深く考え込んだらしかった。彼はじっと立ったまま、モンパルナスをとらえていた。
元気で敏捷《びんしょう》な若い悪漢は、時々、罠《わな》にかかった獣のようにあばれた。飛び上がり、足がらみにゆき、激しく手足をもがき、逃げ出そうとした。しかし老人はそれに気も止めないらしく、絶対的強力のおごそかな無関心さをもって、片手で相手の両腕をとらえていた。
老人はしばらく考え込んでいたが、それからモンパルナスをじっと見つめながら、静かに声を上げて、その暗闇《くらやみ》の中で荘重な弁舌を振るい始め
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